第一話 楽しい事と面白い事

楽しい人生と面白い人生、どちらが良いでしょう?考えてみれば、人生にはいろいろある。良い事もあれば悪い事もある。人はトラブルが好きなんではないかと思えるぐらいです。傍目で見てたら、全てうまく行ってそうなのに、突然トラブルが降って沸いたように出現する事は珍しく無いですね。

ホリエモンしかり、村上さんしかり、絶頂に居た人が転がり落ちてしまった。これ程、顕著では無いにしろ、回りを見渡せば、そういう事に思い当たります。トラブルが無い方が珍しいくらいです。今日何かのお祝いをして、皆で喜んで、それが明日には別のトラブルが発生して、そして、また別の事があって、延々とこれを繰り返す。人生なんて楽しいわけが無いと思います。

好きな彼女と結婚して、一緒に住めば喧嘩して、仲直りして、また喧嘩して、こんなはずじゃないと思う。でも、また子供が生まれて喜んで、今度は夜鳴きで疲れて、大きくなったら、親の言う事聞かなくて、或いは、あまりにも良い子で、逆に心配して。世の中、夫の存在がストレスです、なんていう本が10万部も売れたりして。

携帯電話で便利になったと喜んでたら、どこ行っても掴まって、ちょっと出無いだけで文句言われて、今度は相手が出無いと苛ついて、実にいろんな事がある。こんなのはちっとも楽しくないんです。幸せにするから、結婚してくれなんてセリフを吐いて、幸せにしてね、なんてセリフを返す。でも、人生は楽しくないんです。トラブルが必ずおきる。幸福なんてのはどこにも無い。マイナス思考ですね。

しかし、考えようによっては人生は楽しくないけれど、面白いと考える事もできるのではないか。いろんなトラブルがあって、良い事もあって、それなりに苦労しながら解決したり、その場を楽しんだり、トータルで考えてみると、結構面白かったりする。人生のある瞬間は楽しい事もある。けれど、楽しく無い事もある。それを総合して面白ければ良いじゃないかと、そう思えれば、幸福じゃないかと思ったりします。

そんな事考えますと、ヨットも全く同じで、ヨットは楽しいだけのもんじゃない。乗れば確かに爽やかで、非日常的で、快感もある。でも、恐怖にあう事もあれば、トラブルが発生して不安が出てくる事もある。不安を拒否したら、楽しい場面も無くなってしまう。ヨットを楽しい物と考えると、そうでは無い時はどうすれば良いんでしょう。ヨットを味わうには、乗らなきゃならん。乗れば両方出てくる。それで、その両方を味わって、トータルで楽しくは無いが、面白かったと思えれば大成功ではないかと思います。

楽しさだけを追求しても、そうはとんやが下ろさない。それで、乗らなくなるなら、ヨットそのものを味わえない。それで他の事をしようとすると、やはり同じ事。人生を面白いものにしたかったら、それぞれのやる事を楽しい事だけを思わずに、全部まとめて引き受けるという覚悟があれば、俄然面白さが沸いてきて、夢中になれて、うきうきしてきて、今までなら辛かった事も、面白いと受け止める事ができるかもしれませんね。ヨットを遊ぶ極意です。それでも辛い時は辛い。そう思えたら良いなと思うだけです。

楽しさだけを追求しようと思って乗って、トラブルなりがあると、もう嫌になるが、面白がるという意識があれば、辛い事は辛いが、また乗りたくなるんじゃないでしょうか。人生もヨットも面白いのが一番です。人生は降りる事はできないので、やはり覚悟しなくちゃいけません。ヨットは降りても良いんですが、何でもかんでも降りてしまうと、人生そのものがつまらなくなる。

楽しいと面白いでは根本的に違う。楽しいは一時的、表面的、でも、面白いは全部の総合評価、もっと深いものではないでしょうか。そう思わないと、ヨットなんてやれません。でも、やれば面白いんです。山に登って、山頂に到達します。その気持ちは何ともすがすがしい。でも、ロープウェイで行ったり、ヘリコプターで行っても面白くは無い。楽しかったと思えるかもしれませんが、面白くは無い。それを誰も登山家とは言いません。

どうせヨットやるんなら、面白いセーリングをしようじゃないですか。トラブルもあったし、時化にもあった。雨に降られて、雷なって、でも、快走したり、感動したり。人間はヨットじゃ無いにしろ、どこかでこういう事を引き受けなければならない、それを決めた所で引き受けないと面白くはならない。私が既にそうであるとは言いませんが、そういうもんだろうな、そうありたいなとは思います。まあ、いろいろあったけど、そこそこ面白かったなあと思えれば良いなと思います。

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