第六十二話 欧米人が発見した事

欧米、特にアメリカでは、デイセーラーという新しい流れがいきおいを増してきています。それは何故でしょうか?ご存知の通り、キャビンは狭い、セーリングを楽しむ為、それもシングルで楽しむ事ができるようになってます。体のでかいアメリカ人が、あの狭いキャビンを敢えて選び、セーリングするのは何故か、わざわざ大きなヨットを持っていた人が、そんなヨットに乗り換えるのは何故か?

造船所の話には、ある共通点があります。それは、今まではセーリングを楽しんではいなかったという事です。クルージング派という方々は、大きなキャビンを求め、そこを快適に演出し、週末はヨットに泊まり、ピクニックセーリングをし、どこかの入り江にアンカリングして、海水浴を楽しむ。ちょっと遠出にしても、エンジンを使う。そういうスタイルをずっと続けてきたわけです。でも、よくよく考えてみると、純粋にセーリングというものを楽しんで来なかった。もはや、これまでのスタイルはFUNでは無い、つまり面白く無いと言います。

それでは、クルージング派でも、もっとセーリングを楽しもう、セーリングの醍醐味、エッセンスを感じようと思った。それには意識改革が必要です。セーリングを楽しもうと思ったらクルーが必要だった。大きなキャビンは重心位置を高くする、風圧面積も大きくなる、純粋にセーリングを優先した時、違う何かを差し出さなければならなかった。もっと頻繁に、気軽にセーリングを堪能できる方法はないか。

クルージング派といえども、たまに、セーリングして良い気分を味わった経験のある人は多い。でも、その偶然はほんのたまにしか無かった。そりゃぁそうでしょう。セーリングに集中する事は稀だったし、パーティーしてる方が多かったかもしれない。でも、あの気分をもっと気楽に、しかも何度も味わいたいと願った。もはや、遠くに行かなくても良い。周辺へはもう既に行った。ヨットに住まなくても良い。快適な家がある。それより、もっと面白い事を堪能したい。面白いセーリングをしたい。その方が、遥かに、キャビンでビール飲んでるより面白いからです。

その可能性を求めると、性能の良いデイセーラー、美しいヨット、シングルハンドが可能なヨット、それもオートパイロットでは無く、自分で舵を握ったまま、全ての操作ができる事、そういう所に行き着く。全てを機械に頼らず、自分の体で操作するという事は、考えようによっては面倒な事です。でもまた別の考え方をすれば、自分で操作して楽しむ事ができるともとれます。今までは、文明の利器を駆使して、その便利を享受するのを良しとしてきました。しかし、遊びは自分が操作して、その反応を見る、感じるという遊びの方が遥かに面白い、本当はそれを遊びたいんだという事です。
機械を使って遊ぶのは、どうやったかは機械のものです。人はその結果だけを受け取る。それで良いか悪いかの判断をしているわけです。でも、自分でやると、そのプロセスさえ遊ぶ事ができる。

それで、大きなヨットから小さなデイセーリングのヨットに買い換えた。シングルで、気軽で、性能が良くて、それでいて、従来のとは違ってスタビリティーが高く、しかも美しい。そんなヨットでセーリングしてみると、これまでには無いセーリングの感覚がある。その気になれば、知的ゲームを楽しむ事ができる。セーリング自体が、セーーリングするだけで、こんなに面白かったのか、と気がついた。大きなヨットの時はメインテナンスに煩わされ、クルーに翻弄され、それが今では、気軽にセーリングを楽しむ事ができる。しかも、そのセーリングは今までには感じ得なかった面白さがある。大きなヨットにする事が、これまでは自分を楽しませる方法だと思ってきたが、それは逆だったかもしれない。快適なキャビンライフはヨットでなければならないものでもない。しかし、それらをポンと投げ出す事によって、大きなものを得る事ができた。シングルで自由自在にセーリングできる事は自由を感じ、自分の存在感も感じ、自分が活動的であるという感覚もある。

キャビンは狭いが、ウィークエンド程度なら充分だし、かみさんとちょっとセーリングするにも、わざわざ遠くに行く必要も無い。そのきになればいつでもOKだ。これまでは社交としてのヨットだった。これからはプライベートな遊びである。

ヨットは家族で楽しむものであった。でも、子供は巣立ち、今は自分とかみさんだけ、そうなると、かつてのでかいヨットである必要性が無くなった。そうなった時、はじめて純粋にセーリングしてみようと思った。幸か不幸か、日本では家族はなかなか来ない。ならば、最初から、純粋にセーリングを楽しむ事ができるのです。家族には快適なキャビンをと思うかもしれませんが、それは勘違いではなかろうか、家族にも、本当はセーリングを、面白いセーリングを分かち合えばよかったのかもしれない。そうしたら、もっとヨットに来たかもしれない。快適なキャビンライフなんて、外の刺激的遊びに比べれば、魅力的でもなんでも無い。セーリングこそが、刺激的であり、魅力的なのです。

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