第七十三話 老後?

最近、テレビで時々取り上げられる番組で、団塊の世代の方々が、引退後に何をするか、という事の特集番組を見かけます。田舎生活にあこがれて、田舎の畑付きの農家を買って引っ越すとか、海外に住むとか、或いは、家でごろごろしている亭主の問題とか、さて、みなさんはどうします、という具合の内容です。

男はいくつになっても夢を追う。それをかみさんは馬鹿にする事もあるが、夢が無い亭主も情けなく思う。男はつらいよ、寅さんのセリフじゃないですが、まさしくその通りなんですね。私が言うのも難ですが、多くの方々が良い事ばかり想像して夢を追う。そこに問題があるような気がします。これは何度も書いた事ですが、何かを追えば、必ず、良い事とそうで無い事の両方がある。楽しい事を楽しくない事の両方がある。そうなっていると思います。何故なら、もし楽しい事ばかりだと、それはやがては当たり前になり、楽しい事では無くなる。こんなはずじゃなかったと思う。ですから、もっと何かをしたくなる。最低でもこうだろうと思います。辛い事が無いだけましなんですが、それでは満足できない。

辛い事ばかりじゃやってられない。でも、楽しい事ばかりは無い。それで、その両方を引き受ける覚悟が、何をするにしても必要だろうと思います。それが生きてる事だと思います。生きてれば、必ず両方ある。片方を拒否すれば、もう片方も味わえない。それじゃ何もしないか、というと、生きてるだけで、必ずその両方を味わう事になる。できれば、楽しい方が多い方が良い。それで、できる限りの事はする。しかし、後は、なるがまま、そのまま受け入れるしかない。でも、そう思っていれば、案外、面白いと感じるようになる。両方を感じて、それを越えたところに面白さが感じられれば、それは最高だと思います。

仕事引退して、それから20年余り。第二の人生の始まり。団塊の世代には老人介護とか、医療費とかそんな話も横行していますが、昔と違って元気な人は多い。最近、腰の曲がった老人なんて見た事無い。元気な方は、これからまず10年、やりたい事をやってみてはいかがでしょうか。そして、10年たったら、別な事しても良いし、続けても良い。とにかく、これから10年遊んでみてはいかがでしょう。10年という歳月は結構な事ができる時間です。遊ぶというのは、何も快楽の追求では無く、好きな事の追求です。研究し、活動し、学び、成長する事です。それらは、利害のからまない物であるなら、何の拘束もされず自由にやれますから、こんな面白い事は無い。単なる快楽の追求より遥かに面白い。この面白いには、楽しい事と楽しくない事が含まれます。そうでなければ、面白くならない。それが面白いことです。

この面白さを味わってやろうと思うと、活き活きしてきます。良い事だけを期待するからストレスが溜まる。何かになろうとする必要も無いし、ただ、ひたすら、何かに没頭して、新しい世界を探求していけば良いと思います。それには奥さんも居ますので、自分勝手には行かないでしょう。ですから、バランスも考える。できれば、奥さんにも時折楽しんでもらう。

そうです、ご推察通り、ヨットの薦めです。デイセーリングの進めです。毎日が日曜日になったら、そのうちの何日かはヨットにあてて、デイセーリングを追及してはいかがでしょうか?ある程度うまくなったら、奥さんにもサンセットクルージングを味わってもらえます。そして、普段はセーリングの追及です。しかもデイセーリングですから、大きなヨットでは無く、できればシングルハンドなんか目指してはいかがでしょうか。男は良く、奥さんも乗せて、ちょっと遠出のクルージングなんか考えますが、たいては、奥さんはそんな長距離を望んではいません。涼しい時、風の強く無い時、爽やかな時、そんなセーリングを期待しているはずです。長距離行けば、必ず、行きか帰りで強風に出くわす。それで、奥さんは嫌になlってしまう。ですから、大きなヨットは不要なんです。

60歳からでも、これから10年、相当うまくなるはずです。男が何かを追求している時、それは躍動感を感じます。意識がセーリングにある限り、飽きる事はありません。学ぶべき事はたくさんある。
記憶力が、体力が、今更、なんて思うのはナンセンス。何も世界を渡る航海術や体力を求めてるわけじゃない。人生を潤す為に、ちょっとしたチャレンジをしようというわけです。マリーナから10マイル圏内でOKです。景色が、海が、それを言えばキリがありませんが、海さえあれば良い。海とヨットさえあれば良い。目指すはシングルの自由自在です。そして、ヨットの良いところは自由自在になるのが目標だとしても、初歩の段階から楽しめるという事、練習自体が楽しめるという事、上達のプロセスを楽しみ、徐々に自由自在になっていく。その過程で、ヨットの事、メインテナンスの事、いろんな知識が積み重なっていきます。

そして、それらの知識や体験やうまくなった事は何の役にも立たないという事。これは大切な事です。何故かと言いますと、何も役に立たないから、何かになろうとする必要性が無い。早く役に立つようにとあせる必要も無い。じっくり、自分ペースで良いわけです。ですからストレスもたまらない。
ヨットに乗って、セーリングして、意識をセーリングにおいていますと、陸上で何があっても、そんな事は忘れてます。何故か、自然に集中してくる。そしてある程度慣れてきますと、何も考えない状況が出てくる。ただ、感覚にのみ集中している。これが何故か心地良いんです。微妙な感覚を楽しめる。自分の感性を楽しめる。突然来る素晴らしいセーリングの感覚を味わえる。きっと、もっと早くから始めれば良かったと思うと思います。でも、これはセーリングに集中しないと味わえない感覚ではないかと思います。レースでも味わえない。宴会でも、ピクニックでも味わえない。ひたすらセーリングに専心している時にしか味わえない。そう思います。是非、そういう感覚を味わって頂きたい。陸上では味わえない、ヨットならではの感覚です。それは釣り人が浮きに神経を集中させて、待っているような感覚でしょう。そして、魚がかかる感覚と同じように、ヨットにもそういう突然最高の感覚が訪れる時があります。

感覚は目に見えない、何の役にも立たないかもしれませんが、人は感覚を求めているのだと思います。良い感覚の為にお金を稼ぎ、使い、探し求めている。ですから、グッドフィーリングこそ最高のプレゼントなのです。

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