第十話 非日常性

レジャーに求められる事は非日常性だろうと思います。子供達が行きたがる遊園地も、あのディズニーランドも、旅行も、映画も、音楽のコンサートも、芝居も、それに夜の街をぶらつくのも、そこに非日常性を求めているのだろうと思います。この非日常性こそが、楽しいわけです。エキサイティングなわけです。レジャーが非日常で無くなったら、面白く無いのです。でも、ヨットは普通のレジャーとは違います。

一般レジャーは、その場所に行けば、相手側がいろいろな演出を提供してくれます。遊園地しかり、映画しかり、夜の街もそうです。接待される側として、そこに行くわけです。いうならば、これらは全てエンターテインメントという事になります。エンターテインメントである限り、こちらは楽です。何もこちらから演出をしなければ楽しめないものではありません。向こう側が楽しませてくれます。もし、楽しくなかったら、また別のところにいけば良いだけです。

さて、ヨットですが、ヨットもレジャーです。ある一部の冒険家がする大きなチャレンジ以外はレジャーであります。でも、前記しましたレジャーと決定的に異なる事は、ヨットはエンターテインメントでは無いという事です。誰も演出してくれません。

ヨットを購入して1年目、それは非日常的なレジャーとして活躍するでしょう。しかしながら、2年目ともなると、非日常性が薄れてきます。それを非日常のままにしておく為には、年に2,3回しか使わない事です。使用頻度が少ない事で、ヨットはいつまでも非日常性を保つ事ができるでしょう。ヨットを一般のその他のレジャーと同じレベルにしておくなら、頻繁に使ってはいけません。いつまでもイベントとして特別な事という事にしておく必要があります。しかし、これで本当に良いのでしょうか?

年に2,3回の使用では、ヨットを乗りこなす事はできませんし、セーリングの面白さは解らない。そこで、良い方法があります。非日常性を保ちながら、尚且つ頻繁に使う方法です。それは非日常性を、さらに深く求めなければなりません。エンターテインメントでは無いので、誰かがそれを準備してくれません。自分でやらなければならない。それは自主性が求められます。という事はヨットを楽しむには自主的でなければならないという事になります。

最初はマリーナに来るだけで非日常性を感じます。次は海に出るだけで非日常性を感じます。ましてやセーリングなんかしますと、非日常性は頂点に達するかもしれません。しかし、それらもやがては数ヶ月で、ただ、マリーナに来る事は日常的になり、海に出るだけでは満足せず、そしてセーリングさえも、たいした感動では無くなります。非日常性が薄れてしまい、そうなると、これも年に数回にしておく事がこれらの非日常性をキープする方法となってしまう。

そこでどうするか、後は2つしか方法が無い。ひとつは旅をする事です。ヨットを移動の道具として、車で行く代わりに、ヨットで行く。行き先を変えながら、季節を変えながら、旅としての楽しみを持つ事は、これも非日常性です。でも、これも年にそう何回も行けないかもしれません。たっぷりな時間必要です。もうひとつはセーリングをもっと深めていく事です。セーリングそのものをもっと深めていくことです。この二つしか、ヨットを10年も20年も楽しむ方法は無いと思います。

ヨットを頻繁にセーリングして遊ぶには、セーリングの深さを追及していく。それには本当の事を言えば大きなヨットより、少し小振りの方が堪能しやすいと思います。小さなヨットより大きなヨットの方が楽だと聞きます。確かに、その通りだと思います。でも、楽をしに行くのがヨットでしょうか?遊ぶのが目的であって、楽が目的なら、ヨットなんかはしない方が良い。ロングに行く時、時化た時、ヨットは大きなヨットの方が楽です。でも、日常において、いかに面白いセーリングをしようかと考える時、どっちが楽かで判断するのは少し違います。どっちが面白いかが重要です。それは何もシングルでできるからという意味ではありません。小振りのヨットは確かに大きなヨットよりしんどいかもしれません。このしんどいと言う意味は、波や風の影響をより受け易いという意味であって、これを辛い事ととればそうかもしれませんが、そうでは無く、それなりの対処をする面白いセーリングと捉える事もできます。コクピットから手を伸ばせば海面に手が届くような、そんなセーリングは非常にエキサイティングなセーリングを演出できます。そして、そのヨットが非常にスタビリティーが高いならば、面白さはビッグボートのものでは無い。

いつも言いますが、上手下手の問題ではありません。そういう遊び心があるかないかの問題です。
年齢も体力も関係ありません。それなりのセーリングができます。自分なりの追求をしていけば良いわけです。セールを上げるだけで良かったのが、セールを出す角度をいろいろ試し、セールカーブを見るようになり、その他、いろんな艤装を扱うようになる。ゆっくりでも、自分ペースでも良いわけです。ただ、気持ちはグッドセーリングにあるわけです。これは自分が自主的にそういうセーリングを楽しみたいと思わなければできない事です。誰もそれを演出してはくれません。そこにどうしても積極性、自主性が無ければ遊べないヨットの本質があります。セーリングは奥が深いといわれます。やると10年、20年、30年といつまでも飽きない。やる人は飽きないんです。やらない人が飽きてくる。

最初の1,2年は良い、でも、その次からは、自分なりの演出をしないと、自主的にやらないと、ヨットを遊ぶ事はできない。でも、やれば、ヨットは常に非日常性としてオーナーを面白がらせてくれますし、いつまでも感動的であるし、オーナーを丸ごと活性化させてくれます。こうなってきますと、ヨットは他のレジャーとは違った次元になります。エンターテインメントとして遊んでくれるレジャーと自らが自主的に主役になって遊ぶレジャーは異質なものです。自らが動く事によって、そこから来る反応は何倍にもなって感じられます。そして、これは誰にでも味わえるものでは無いという点において、限られた人の遊びになるでしょう。でも、誰でも、その気になるなら味わえる遊びでもある。
この違いは非常に大きいと言わざるをえません。

他のスポーツを考えてみましょう。例えば、テニス。好きな方は毎日できます。飽きない。何故か?
それはスポーツとして、テニスをうまくなろうとするからです。これと同じで、ヨットを何十年もやり続けるには、スポーツとして、少しづつでもうまくなろうとする姿勢でなければ、続ける事はできません。そして、実際、やり続ければみんなうまくなっていきます。そのれが面白いのです。うまくなれば、その分味わいも違います。ゴルフでも、何でも同じです。ヨットはレジャーでありながら、同時にスポーツです。レジャーとしてのみの捉え方ではたいして使えません。でも、スポーツ性を考えますと、これがどんどん使いたくなる。

最低、ワンシーズン、騙されたと思って、セーリングを自分なりで結構ですので、追求してみてはいかがでしょうか。決して、損は無いと思います。何かを見出すと思います。

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