第二十七話 操船の楽しみ

ヨットを動かすだけなら、簡単な事ですが、いかに動かすかを考えますと、いろんな操作が必要になります。ヨットというのは、ヨット本体が走る、その走りを楽しむというのもひとつの楽しみですが、それを可能にする、いかに走るかを演出するのが、操作です。その操作は面倒な事でしょうか?

セールを上げる。ただそれだけですが、ハリヤードでどのぐらいウィンチで締め上げるかによって、
セールのラフのテンションが変化します。これはドラフトの位置を決定できます。ただ、セールを上げる行為ですが、いかにを考えますと、そういう事も関わってきます。これは面倒な事でしょうか。
風が強くなってきたので、ハリヤードが伸びたり、セールが伸びたりして、下がったドラフトを適正位置に調整する為に、ハリヤードをもう一度締め上げる。これは面倒な事でしょうか。

プロを乗せて、彼に全てを任せて走れば、最高のセーリングを味わう事ができるでしょう。でも、ヨットは遊びで、いかに遊ぶかが重要ですから、例え、最高の走りでは無いにしても、自分で考えて、思考錯誤しながら、自分で行った操船の反応を見る。つまり、操船というプロセスと走るという結果の両方を楽しんだ方がよっぽど面白いのではないでしょうか。

操船をどこまでやるかは、自分次第です。オーナーでございと、ふんぞりかえって快走を楽しむという方法も確かにあります。でも、操船という行為、自分の行為があって、その結果、快走が体験できると、面白さは何倍にもなり、感動にもなります。そうやって遊んだ方が面白いと思います。
いつも、細かい作業を全てやらなければならないわけではありません。それは自分次第、自分の知識と腕をどこまで試していきたいか、それによります。

完全オートマチックのヨットがあります。ボタンを押すだけで、セールの角度からトリミング、リーフまでやってくれる機械があります。コンピューターを駆使し、風向風速計、スピード計、GPS、オートパイロット等を連動し、全部やってくれます。多分、最良の走りを提供してくれるものと思いますが、
そんなもの面白くも何とも無いと思います。そこに自分という存在が全く無いからです。

楽しいというのは、本当は自分自身の中にある楽しさ、面白さ、そういう意識の中にある物を現実の世界において、確認したいのかもしれません。自分の中にあるそういう要素を少しでも引き出して、どんな結果になるか、それがうまく行った時の楽しさは、結果だけを楽しむより遥かに面白いのではないでしょうか。つまり、プロセスがいかに大切であるか、結果を求めてはいますが、プロセスも重要な要素だと思います。

ヨットという乗り物は、やろうと思えばたくさんの調整が必要で、それをしょっちゅうやる事もできれば、そこそこもできれば、あまりやらないという事もできます。それでもヨットは進んでくれます。でも、できるだけ、いろんな事をして、その結果を体感していく事を習慣としますと、やる作業は面倒どころか面白さに変わり、得られた結果もプロセスがあってこそ、もっと面白いものに変化していくと思います。

ラフのテンションを気にする。リーチの開く具合を気にする。ドラフトの深さを気にする。いろんな部位を気にする。否、気にかけるという言葉の方が適切だと思いますが、それらを、どれだけ楽しめるかも、トータルのヨット遊びとしてはもっと盛り上げる事になると思います。それを面白く支えるのが行う行為の知識だと思います。謎解きみたいなもんで、これをこうすると、こうなる。しかも、いろんな部位が独立しておらず、互いに関連している。そういう謎解きゲーム。それは知識の吸収と、実体験の中から積み上げ、知的ゲームとして、楽しむ。その結果、うまく走れば大正解。今度は、走るという事の体感を通して、感覚的な快走を楽しむ。知的ゲームと感覚ゲームの両方を楽しむ。
そうしますと、互いの相乗効果で、もっと面白くなると思います。作業は面倒では無く、面白い行為になると思います。

ですから、舵はオートパイロットにやらせるより、自分で握った方が面白い。例え、初心者の方が、真っ直ぐ走れなくて、少しジグザグになったとしても、自分で握った方が、オートパイロットで真っ直ぐ走るより面白い。最良の結果も大事ですが、それをいかに得たかも重要だと思います。それが遊びだと思います。登山は自分の足で登った方が面白いに決まってます。ヘリコプターで山頂に行く方法もありますが、それでは遊びにはちょっと物足りないですね。遊びにはそのプロセスが重要だと思います。

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