第四話 走る事

スポーツ好きの国民だろうとは思うのですが、ヨットに関してだけは走る事をしなくなっています。ヨットだけはスポーツという言葉が付くと、避けられます。いやいや、クルージングですから、と言われます。私はそれに異を唱えて、もっとセーリングしましょうと言ってきました。どうもスポーツというと激しい動きとか思われるようですが、私の言うセーリングはマイペースのセーリング、ただ、セーリング自体に意識があるセーリング、遊びのセーリングです。

遠くに行くには目的地があります。でも、旅の醍醐味は道中にあると思います。でも、目的地を持つと旅は目的地についてから始まります。道中は無駄になってしまいます。ならば、旅を楽しむには目的地は無い方が良い。でも、今の時代、そんな旅ができる人は殆どいません。風の向くまま、気の向くままなんていう旅は殆ど存在しません。そういう時代ですから、仕方が無いのですが、ならば、今の時代に最も即したヨットの楽しみはセーリングなんではないか、近場の目的地の無いセーリングなのではないかと思います。北へ走ったり、南へ走ったり、上りだったり下りだったり、近場のセーリングはスリルを味わったり、走りそのものを自分のペースで味わう。それが面白いのか?と問われますと、意識がセーリングにあれば面白いと思います。ただ、走ってるだけでは移動に過ぎませんから、それは面白く無い。レースをしなくても、意識さえセーリングにあれば、面白くなると思います。目的がありませんから、終わらない旅でもあります。その場を楽しむ事でもあります。上達を楽しみ、自由自在を楽しむ。そんな乗り方をお奨めしています。

その合間に目的地を持つ旅をすれば良いと思っています。欧米やニュージーランド、オーストラリアからヨットで旅する人達が良く来られます。彼らは、数週間で別の場所へ行く人も居れば、数ヶ月或いは数年間も滞在する人がいます。それも珍しいわけではありません。60歳とか70歳とかいう人達も居ます。彼らを見てますと、旅そのものを楽しんで、そして各国の滞在先を楽しんでいます。
こんな旅ができれば良いのですが、日本ではなかなか難しい。それで近場の目的地を持つ事になります。それも悪くはありませんが、道中では無く、目的地が旅ですから、同じ場所に何度も行くと飽きてきます。何があるかも想像できますから、新しくない。それが飽きる原因だろうと思います。
ならば、行った先のマリーナにしばらく置いて、そこのエリアをセーリングして楽しむ方法もあります。しばらく経って、また別の場所に移動して、また、そこのエリアをセーリングして遊ぶ。数年づつ、そんな移動を繰り返すのも悪くは無いかもしれません。

飽きない旅はセーリングだろうと思います。ヨットは移動手段と見れば、目的地主義になり、乗り物と見れば走る事自体が目的になります。もう一度、セーリングそのものを見直してみたらどうでしょうか。何か新しい発見があるかもしれません。

ドイツには60フィートのシングルハンドデイセーラーがあります。60フィートでデイセーラー、彼が味わうセーリングはどんなセーリングでしょうか。デイセーリングと言ってもいろいろあります。微風から強風もあります。そこでどんなセーリングができるでしょうか。強風でも、外洋なら、何日も何日も続くかもしれません。でも、デイセーリングは短い。ですから、ちょっと挑戦しても、すぐに自分の意思で終わらせる事ができます。小さいヨットでも大きいヨットでも、デイセーリングで遊ぶ事ができます。ナビゲーションはあまり必要ないかもしれませんが、ヨットそのものを味わう事ができる。ショートセーリングを念頭にそれを2,3日続ける旅もできます。目的地無しで。行動範囲は半径20〜30マイルかもしれません、或いは100マイルかもしれません。でも、それをどう扱うかが面白いかどうかになってきます。

目的地のある旅、無い旅、これを使い分けて考えますと、日常はやっぱりセーリングそのものを楽しんだ方が面白そうです。目的地があるにしても、余裕があればセーリングで行ける。どこかでアンカー打って一晩過ごす事も考えられます。福岡は100マイルばかり走ると韓国まで行けます。
目的地があっても、できるだけ道中を楽しむような旅が出来ればと思います。ですから、やっぱり近場になるでしょう。それで、デイセーリングでより良いセーリングを楽しむのを主としたいと思います。行き先を決めないで、その日の風向きで行く方向を決めるというのもあります。そしてそう遠くなければ、セーリングで行けます。行き先は同じところでも、道中が違う。そういう乗り方もありでしょうね。でも、やはり、それでも、日常はデイセーリング、それをいかに面白くするかです。良い風の時は真剣に走ってみるとか、サンセットセーリングをしてみるとか、右回りを左回りにしたり、ダウンウィンドでジェネカーを使う走りをしてみたり、風が無い時は出てもしょうがないので、宴会します。近所のピザ屋から取って、ビール軽く飲んで、ひと寝入りでも良いです。ジブだけ走ってみる。メインだけで走ってみる。いろいろあると思います。それぞれに風も波も違いますので、意識さえセーリングにあれば、退屈はしないと思います。それどころか、しびれるようなセーリングのチャンスが来るかもしれません。一旦それを味わうと、セーリングはもっともっと面白くなると思います。

この文明の現代、ヨットは最新テクノロジーを求めて進化していきますが、セールの素材、ハルの素材は変わり、形状も変化していきます。艤装品も進化していきます。しかし、どんなに進化してもエネルギーは風を使い、海を走ります、風も海も効率を考える事はできても、風や海そのものを変化させる事はできません。そこがヨットのヨットたる所以です。ところが、最新テクノロジーを使ったからと言って、それだけで面白くなるわけでは無いと思います。確かに、昔のヨットより速くなって、便利にはなりました。しかし、それで面白いわけではありません。ひょっとしたら、昔の人達の方が楽しんでいたかもしれません。要は乗り方の問題ですし、それは気持ちの、考え方の有り様でしょう。ソフトの問題です。ハードはどんどん進化していますが、ソフトが追いつかない。でも、どんなに進化しても、基本的に風を使うという事に変化は無く、単純にソフトはそれを遊べば良いわけで、それを遊ぶならば、昔より遥かに面白くできるはずではないかと思います。

ハードの進化がソフト面において、いろんなバリエーションを与えてくれたおかげで楽にになり、いろんな使い方もできるようになりました。そのバリエーションがセーリングから離れて、別な所にも行き、それが主体になってきた。つまり、基本的な風で遊ぶ事から離れていきました。いろんな工夫をして、最高のセーリングを求めていたのが、楽にセーリングができるようになって、その代わり、気持ちはセーリングから離れて行った。工夫しない所に人は夢中にはなれません。昔よりもっと面白いセーリングが楽にできるのですから、そこを意識していれば、もっと面白くする為にと、工夫が出てきます。楽しいひと時を過ごすというのもあって良い、でも、工夫しながらもっと面白いセーリングをという部分が無いと飽きてくる。その工夫はヨットが風で走るという基本的な部分さえ残っていれば、永遠に続くものと思われます。ヨットがいつの日か、何かのテクノロジーで風を自分で起こして走るようになったら、御終いでしょう。何かのテクノロジーで波を制御できるようになったら御終いでしょう。その方が便利ですが、面白さは無くなります。逆に言いますと、そこの所が最も面白い部分でもあります。不便、不自由、本当はそのあたりに対する人間の工夫が面白いのかもしれません。便利は便利で享受して、そこの工夫は残しておきたいものです。

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