第八話 乗り物
いろんな乗り物があります。電車、飛行機、車、自転車、バイク、これらの目的は何かと考えますと、それは人を乗せて、ある地点から別の地点へ輸送する事です。目的地があると、急いでそこに着きたくなります。輸送時間は無駄なもの、でもいくら便利になったからと言って瞬間移動はできませんから、その輸送時間をできるだけ短く、できるだけ快適にしたくなります。この移動時間は仕方なしです。 でも、同じ乗り物でもちょっと違う乗り物があります。遊園地の乗り物です。ジェットコースターはそのアップダウンやスリルを味わいます。その他も乗るのが目的であって、その間の味わいを感じたいわけです。どこかに行きたいわけじゃありません。そう言えば、自転車なんかは時に、どこ行くでも無くぶらぶらと散歩のように乗る場合もあります。これは目的地に速く着きたいわけじゃありません。 そこでヨットですが、どちらに入るでしょうか?本来、ヨットというのは遊園地の乗り物の部類なのだと思います。このヨットに乗ってどこかに行きたいとなりますと、できるだけ速く行きたくなりますし、道中は快適にしたくなります。道中そのものが目的では無く、行った先が目的ですから当然の成り行きかと思います。でも、ヨットは本来そういう乗り物では無いと思います。遊園地の乗り物のように、乗る事自体が目的なのではないかと思う次第です。昔の帆船とは違います。あくまで遊びのヨットです。 遊園地のジェットコースターが全くスリルが無くなったら、誰もこんな物に乗ろうとは思わないでしょう。快適そのものになったら、面白くも何とも無くなります。目的地がある乗り物の場合と乗る事自体が目的の場合とでは、全く意味が違ってきます。ジェットコースターが目的地への移動に使われるなら、これも又誰も乗ろうとは思わないでしょう。 ヨットは目的地が無い乗り物が本来のプレジャーヨットとしての役割だと思いますが、それを目的地を設定して、移動目的の要素が強まりますと、急いで、快適にという事に意識がシフトされ、ですからエンジンで行くし、道中の楽しみも減じられていく。強風も雨も嫌だし、暑いのも寒いのもできるだけ避けたくなります。気持ちは一刻も早く着かないかなと思ってしまいます。本当は車や電車で行った方が速いし、快適です。でも、ただ、ヨットで来たという事実だけが、違ったニュアンスを持ちます。しかし、1回目はともかく、2回目、3回目と増えるに従って、たいした意味を持たなくなります。何故なら、ヨットの持つエキゾチックさは回数が増えると減少していくからです。それに、ヨットは移動手段としては、他の乗り物に比べて快適ではありません。 本来、ヨットを楽しむというのは、無目的にしてしまうのが最も良いと思います。日常的に乗る場合は目的地無し、そして旅をするにしても方向が決まるだけで目的地無し、こうなりますと道中をいかに楽しむかという事になるでしょう。急ぎの旅はカップラーメンで済ますかもしれませんが、道中を楽しむ旅は料理さえも楽しむという意識に切り替わる事もあるでしょう。これが旅、本来の価値でもあります。それは遊園地の乗り物と同じになります。乗る事が目的になり、味わう事が目的になります。何も快適である必要はありません。ヨットらしい味わいを得られれば良いはずです。ただ、ジェットコースターよりも時間が長いので、ジェットコースターのようなスリルと緊張感が何時間も続くと耐えられませんが、ヨットで味わいたい乗り心地はそれとは違い、いろんなバリエーションがあります。そのバリエーションを自分で演出して、道中を、過程を味わうのが、本来のプレジャーヨットの遊び方ではないかと思います。ですから、穏やかで、風があまり無い時は面白くは無いわけです。度が過ぎるのも御免ですが、ちょっと吹いたり、波があったり、時には雨が降ってきたり、そういういろんなバリエーションがあった方が面白くなります。快適さだけを求めているわけでは無いからです。このバリエーションは人によっても異なりますが、慣れてきますと、幅は広がってきます。 つまり、ヨットをヨットらしく堪能するのは、目的地を持たない、遊園地的乗り方が合うと思います。 遊園地はその敷地内ですが、ヨットは海全部が遊園地、そう考えますと、ヨットにどんな風に乗りたいかが見えてくる。目的地を持つなら、パワーボートの方が速いし、車の方が便利です。ヨットとしてのニュアンスはかなり薄い。それを目的地志向にしますので、目的地に着いてからしか楽しめない。ヨットで短時間に走れる距離は短いですから、そう遠くにも行けない。ですから同じ場所に何度も行く事になります。そうしますと、毎月行きたくは無いし、年に1回ぐらいで充分になります。そうしますと、後の3百何十日はヨットに乗れません。こういう乗り方はそのうち車使って、別な場所に行きたくなる。 割り切るのは簡単です。目的地を設定する時は一般の乗り物で行く。快適に速く行く。それでヨットに乗る時は目的地を設定しない。目的地が無いからセーリングし、セーリングを味わいます。求めるは快適さだけでは無くなります。ヨットの持つスリルや優雅さや自由や開放感を味わいます。その方が面白いと思うのですが。意識は目的地志向から目的地無しになった途端、遊びの演出が変わってきます。乗ることを楽しもうという意識、どんなにしたら面白くなるかという意識、そういう事に切り替わっていくのではと思います。そしますと、ヨットは俄然面白くなります。 ヨットの目的地志向は世の中の便利さによってもたらされたと思います。ヨットも昔に比べて快適になりました。快適、楽になればなる程、目的地志向になります。ヨット出すのが大変なら、それでどこかに行こうと思う人は少なくなります。オートパイロットやGPS、それに快適キャビンがあります。 とっても楽になりました。でも、そうなればなる程、乗り方が遊園地的では無くなり、目的地志向にシフトされてきたと思います。乗ることから得られる味わいは、重要視されなくなってきます。その時、ヨットは車と何ら変わらない乗り物に変化します。車は実用性がありますから、それでも良いのです。でも、ヨットに実用性はありませんから、移動目的だけでは、ヨットが面白いにはなり得ません。ヨットで遊ぶか、ヨットを遊ぶかの違いになると思います。 ヨットでどこかの目的地に行っても良いのですが、目的地有りの時と無しの時を意識して、遊び方を考えてはどうでしょうか。そうすると、ヨットがもっと面白くなると思います。そしてやっぱりデイセーリングは目的地無しのヨットを遊ぶ。時にちょっと遠出する時は目的地ありでヨットで遊ぶ。 |