第八十一話 潔さ

本当に楽しみたかったら、潔さが必要になります。外洋を帆走するヨット、外洋セーリングにおける荒天に対応できる船体と艤装、潮っ気たっぷりです。でも、その為に気軽に帆走を楽しむという事はある程度諦める必要があります。そこに潔さがあります。

一方、最高のセーリングを味わいたいというデイセーラーは、大きなキャビンを諦めシンプルで、反面セーリングをいかに自在にこなすかという艤装が施されています。やっぱりここにも潔さがあります。

何でもかんでも求めるところには潔さがありません。つまり、何でもかんでもは互いに矛盾するところを含んでいます。ですから両立しない。気持ちは解りますが、本当に何かを楽しみたかったら、潔さを携える事が必要かと思います。そして、潔いヨットは美しいし、カッコイイ。何かを得る為には、何かを差し出す事が必要になります。でなければ、何も得ない事になりかねません。。

大きなキャビンを求め、小さなセールを得、スタビリティーも低い。その代わり、エアコン有り、温水有り、冷蔵庫有り、テレビ、ビデオ、ステレオ、あらゆる快適装備があって、大きなエンジン積んで、
メインもジブもファーラーで、広いコクピットで、ドジャー、ビミニ、オートパイロットにGPS、へたするとキャビン内部にもステアリングがある。これを潔く楽しむには、セーリングにおける快走は諦める事だろうと思います。その潔さがあれば、キャビンと気軽な旅を堪能できます。

本格的外洋艇を持ちながら、外洋装備をして、それでいて日常の気軽なセーリングを諦めない時、デイセーラーを持ちながらロングの外洋クルージングを諦めない時、キャビンヨットでありながら、快走セーリングを諦めない時、つまり潔さを失った時、ストレスが溜まります。諦めなくても良いのですが、少し我慢が必要です。それを何でもかんでも求めてしまうと、今度は面白さを失う事になります。ですから、潔さを持つ事は、求める点において最高の面白さを味わえますが、それ以外では多少の我慢も強いられる。ここは潔く行く事が面白さを味わうには必要だと、得る物は得る、諦める物は諦める。それが肝要かと思います。

何を得、何を捨てるかはオーナー次第ですが、これまでは外洋艇とキャビンヨットは既にありました。新しいのはデイセーラーです。デイセーラーを存分に楽しむ為に、まずは大きなキャビンを諦めます。フリーボードはあくまで低く、重心はあくまで低く、そして高いバラスト比を得る。それによって得た高いスタビリティーはセールフィーリングには欠かせません。それに大きなキャビンを諦めれば、美しさを得る事ができます。

何もしない楽チンセーリングは諦めて、操作する面白さを得る。ですからオートパイロットは設置しても、できるだけ使わないで自分で舵を握る面白さを得る。シートを動かし、トラベラーを操作し、カニンガムやバングやバックステーアジャスターを操作して、その反応を面白がる。

この潔さは過去のヨットの歴史が濃縮して、明らかになっていくからこそ得られるものかもしれません。何がしたいのか、何が面白いのか、それが解らないうちは潔さも無い。諦めるという事は反面、自分が解っているからできる事かもしれません。

あくまで帆走に徹する。美しいデザインに徹する。旅に徹する。キャビンの快適さに徹する。そしてそれ以外は我慢する。その潔さがこれからヨットをもっと楽しむには必要かもしれません。それで、潔い人はカッコイイになります。不平も言わない。面白いところしか目につかなくなります。だから楽しめる事になります。外洋行く人は、荒天を我慢し、耐える。それを楽しむところにカッコ良さがあります。デイセーラーはそんな事は必要ありません。その代わり、セーリングする操作、端から見たら面倒くさいと思われるかもしれませんが、それを楽しめる人がカッコ良い。キャビンヨットを楽しむ人は、ラーメンで済ませてはいけません。料理を作って、快適なキャビンで、みんなで料理を味わう。常に整理して、快適なキャビンを作る。それを楽しめる人がカッコ良いと思います。

カッコ悪い人は、無い物を諦められずに、有る物を楽しめない人です。日本はキャビンヨットが圧倒的に多い。ならば、快適キャビン生活をいかに楽しむかを考えるべきかと思います。

日本のヨット界は初期の導入期をようやく終えたと思います。これからは、実際にそれをそれぞれの潔さを持って使う時期、これからが面白い時期かと思います。成熟期の始まりです。

次へ         目次へ