第三十七話 職人

長年鍛えられてきた職人の技術、そういうものが業種によっては失われてきました。日本では伝統工芸とか宮大工には残っているようですが、多くは失われてきています。それは物が使い捨ての時代に入ってから加速され、大量生産、大量消費という時代には、いくら優れていても誰も見向きもしない。その辺にある物で充分だ、使えなくなったら捨てて、また新しいのを買う。

車でも同じで、機械で大量に生産され、10年かそこいらで破棄される。毎日使う実用性の高い物はそれで充分だという事です。

しかしながら、職人の技はもはや不要かと言いますと、ジャンルによっては活躍の場があります。例えば、楽器。音が出ればそれで実用的かと言いますと、音楽というジャンルは、そこに傾倒していけば行く程、音質や演奏する感覚などが重視され、機械的に大量生産された楽器では満足しなくなる。より良いを求めて、良い職人の出番です。自転車もそうですね。買い物に行くママチャリから、レースに出るような自転車があり、職人が活躍しています。特に、イタリアの職人は有名で、イタリアは職人がたくさん居る国です。これは国の歴史にも関係するようで、次々に政権交代したりで、経済政策が取れなかった時代を経て、そこに大企業が育たなかった。零細企業が多く、職人が育った。おまけに、デザインというジャンルの才能は別格の才があったというのもあるでしょう。

ご存知の通り、ブランド物、自転車、車、時計、家具、その他たくさんの物が、デザインされ、職人によって造られる。大量生産品で良いという方と、世界にはもっと良い物をと望む方がおられ、そこに職人の技が求められた。ボートで言えば有名なバートラム、ヨットはスワン、どちらもイタリアの会社が買収した。そういう物が世界に認められて、儲かった結果でしょうね。

つまり、イタリアは大量生産品というより、職人の技で生きてきた国かと思いますね。昔からそういう素地はあった。ルネッサンス発祥ですし、ダビンチしかり、ストラディバリウスしかり、イタリアから出た者は多い。

職人気質の人達は物造りにはうるさいが、販売のマネージメントに疎い。そういうのがあって、イタリア人は陽気だがいい加減というイメージがあるのかもしれません。でも、私が見てきたイタリア人は確かに陽気だが、とっても働き者でした。さぼっているような奴は一人も居なかった。問題はマネージメントの方でしょう。一方、日本人はこのマネージメントには完璧ですから、余計そう思う。

あるアメリカの会社ですが、日本人とアメリカ人で一緒にチームを作らせる。非常にうまくいっているという話があります。日本人の完璧さから言えば、ドイツ人でも叶わないと思います。昔、ドイツの会社で働いた事がありますから、本当です。

イタリア人は人生を楽しむ事をモットーにしている。ヨーロッパでは先進国の下位に位置している国かもしれませんが、彼らは楽しんでいる。そういう発想から作り出される物、遊び物にはそれが必要かと思います。苦しんで造った物は楽しくない。楽しく造った物は楽しい。人間は物を買いますが、本当に買うのは、物の中に潜む楽しさだと思います。

そこで、イタリアのヨット、コマー社の登場となるわけです。彼らも大量生産はしない。するつもりも無い。年間140艇ぐらいの生産、殆どはヨーロッパで消費されます。その生産数の割りにはモデル数が多い。何となく解りますね。ハンドクラフトのヨットです。職人が造るヨットです。ただ、昔ながらの工法かと言いますと、そこはちゃんと進化して、バキュームバッグ方式とか、新しい方式もとりいれています。素材にはこだわり、ステンレスは全て316を使い、樹脂もビニルエステルを使い、工法も職人技がある。チークデッキなんかも、最近のベニヤのペラペラでは無く、厚みがあるし、
その張り方も縦の黒い目地のストライプはありますが、横の目地が無い。横の目地は美しくないという理由で、チークを縦に繋いで、目地を無くしてしまった。


 縦のストライプは見えますが、横には無い。それがどうし
 たと言われれば、どうもしませんが、でも、こだわって物
 造りをしている姿勢が嬉しいじゃないですか。物を造る
 に、ポリシーが無いより、ある方が良い。そのポリシー
 が嫌いなら買わないで良いし、気に入れば良いのが手
 に入るという事になる。何でも良いなら別ですが。

 コンピューターの時代ですが、実は人間の技はすごいも
 んで、最終の部分は機械ではできない。職人によってな
 されるというのが結構残っています。人間はすごいんです

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