第八十六話 コーヒーとタバコ

コーヒーが好きで、毎日、毎日、たくさんのコーヒーを飲みます。それで、いろんなコーヒーに凝るのかと言いますと、全くそういう事は無く、インスタントだろうと、何でもOKです。ある友人はコーヒーに凝っており、豆をどこで仕入れるかから始まり、必ず、コーヒーを入れるその場で豆をひいて、コーヒーを入れてくれます。それは確かに、とってもうまい。うまいんですが、それと同じ事をしようとまでは思いません。何しろ、そんな事してたら間に合わない。

でも、状況が違えば、インスタントコーヒーがとてもうまい物になります。山に登っての1杯、寛いだ早朝の1杯、そしてもちろんアフターセーリングの1杯、何とも言えない味というより、状況を加えたトータルの一杯という事でしょう。それに、コーヒーにはタバコがつきもの。昨今ではなかなかどこでも吸えませんが、それがまた良いのかもしれません。うまいコーヒーにうまいタバコにありついた時は至福の時であります。

人は結構つまらない事にでも幸福を感じるもので、誰にでも、そういう事があるのではないでしょうか。つまらない事に夢中になったり、つまらない事にこだわったり、何の利益にもならない事なのに
固執したりします。見栄であったり、プライドだったり、健康に良くないと解っているけど、やめられない。

しかしながら、つまらない事であろうが、夢中になれるというのは幸福ですね。何にでも頭の理屈で片付けてしまっては、面白くありません。人は理屈で生きているわけじゃない。誰もが夢を追い、成功を求め、大きな夢を抱く事は良い事として世間に思われています。夢というのは元来理屈では無い。その人に宿る何かから自然に生まれてくるものではないかと思います。そして、それを理屈で実現しようと考えるところに大きな間違いがあるような気がします。必死になって求めるものでは無いような気がします。必死に求めると、実現すれば幸福、実現しなければ不幸になってしまう。

こうなれば良いなと夢を描きながら、今している事を味わう事が大切なような気がします。ひょっとすると実現するかもしれませんし、実現しなかったとしても不幸にはならない。私の周りに何人か、いつかはロングクルージングで日本を出たいと考えておられる方がおられます。もちろん、それはそれで良いんだと思います。しかし、今は忙しいからとマリーナに殆ど来ないとしたら、多分、実現はしないでしょう。今はまだその時期じゃ無いからと、デイセーリングを楽しんでやっておられるなら、多分実現するだろうと思います。つまり、夢に繋がる何かを今できる事で楽しまなくては、未来に実現する事は無いだろうと思います。でも、考えてみると、夢は未来の事ですが、本当は夢は今を楽しむ為にあるのかもしれません。未来にかなえたい夢があるからこそ、今を楽しめるのかもしれません。そして、今を楽しめれば、夢実現の確立は高いけれども、必ずしも固執しなくなるような気もします。

考えてみれば、ヨットはつまらない事です。何の役にたつわけじゃない。でも、その下らない事に夢中になれるというのは実に幸福なことです。セーリングの腕が上がっても、何の役にも立ちません。でも、その下らん事に夢中になれるというのも実に愉快ではないですか。うまいコーヒーの一杯とタバコを吸う時の至福感、それと何ら変わらない。勝ち負けも無く、得るものも無い。しかし、幸福感を味わう事があります。

セーリングは夢中になれるかどうかではないでしょうか?家族とか、仲間とか、どこかへとかあるでしょうが、それよりも夢中になってセーリングをして、アフターセーリングでの寛ぎは実に平和でありますね。夢中になれないと、どこかで頭が働き、理屈をつけて、どこか欲求不満になってしまう。できるだけ余計な頭は使わないで、セーリングしてみましょう。一杯のうまいコーヒーとうまいタバコの為に。

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