第二十話 感覚重視

世の中は理屈優先です。もちろん、そうしないと議論ができない。こうして、こなって、話をしてみんなで何かを決めていく。それには理論的に話をしないと進みません。そうやって、世の中がどんどん進化し、いろんなルールが決められてきました。

しかし、それがどんどん進みますと、窮屈になってくるんですね。確かに理屈は解る。しかし、その中に居るのは必ずしも理論では割り切れない人間ですから、窮屈さを感じてきます。そして、それはストレスとして感じてくる。世の中が進化すればする程、便利にはなります。物質的には豊かになる。しかし、同時にストレスも感じてきます。

そのどうしようも無いストレスは、どこかで解消していかなければなりません。そこに遊びの価値があると思うのですが、これがまた理屈がしゃしゃり出てきます。理屈でしか人間は考えられないのでしょうか?否、そういう事に慣れてしまっているのかもしれません。それで、こういう時の為、ああいう時の万一の為といろんな装備をくっつける。ですが、それに対するメインテナンスも当然必要になります。でないと、いざという時に動かないでは、またストレスが溜まる。

便利グッズは多いに賛成ですが、それ以上に感覚を重視する事をお奨めしたいと思います。それはセーリングの感覚、旅の感覚、それが楽しさであり、面白さですから、遊びは感覚が基準です。
セーリングの理論もありますが、それより感覚重視、もちろん、理論は長い間先輩達が築いてきた知恵ですから、もちろん大事ではあります。学ぶ必要もあります。しかし、それを学んだうえで、感覚的に遊ぶ事が重要かと思います。

楽しくなければ、面白くなければ、遊びとは言えない。その感覚を大切にする事で、ストレスは解消されていくのではないかと思います。

楽しさは非常に狭い範囲で、いろんな条件が揃う必要がありますが、面白さは楽しさを含めて、幅が広い。ですから、この面白さを求めるのが良かろうと思う次第です。楽しさと楽しく無い事とが交互に来て、その中心には1本、面白さが潜んでいる。その面白さをいつも携えて、いろんな経験をしていく。

何に、面白さを感じるか?セーリングか、旅か、或いは、また違う何かか?その面白さが使い方の中心になっていきます。操船技術を覚え、練習して、こうして、ああしてと誰もが考えますが、もっとこの先、10年、20年でも関わるであろうヨットに、求められるは技術だけでは無く、何が面白のかではないでしょうか。また、どんな乗り方をしたら面白いのかですね。これらはひとりひとり違うわけで、それは他人に聞ける事でも無い。自分の感覚に聞くしかない。ですから、いつも、感覚、何を感じているかを意識しておく事は、これから先、ずっと乗り続けるには必要な事かなと思います。

クルージング艇だから、ドジャー、ビミニトップ、メインシートのトラベラーは入り口の向こう、コクピットは広く、テーブルもあったら便利、じぶは当然ファーラーで、メインもファーラーの方が便利、ティラーはコクピットの邪魔になるので、ラットが良い。これらは確かにその通りかもしれませんが、それが全て自分に合うとは限りません。

ヨットの何に面白さを感じるかで、何が必要で、何が必要で無いか(無い方が良いか)、こういう事が解ってくるように思います。それが進むと、もっとカッコ良く乗りたいと思うようになります。それはある事のカッコ良さもあれば、無い事のカッコ良さもある。個人の価値観です。でも、たいていは、誰もができない事、しない事をいとも簡単にやってしまう。そういうのにカッコ良さを感じる。別にお奨めするわけではありませんが、現代は何でもある時代ですから、逆に無い事のカッコ良さもあるでしょう。大きなヨットをひとりで乗りこなすカッコ良さ、逆に小さなヨットを敢えて乗るカッコ良さ、オーパイが無い、ドジャーが無い、ビミニが無いカッコ良さ。お奨めしているわけではありません。あくまで個人の感覚の問題です。カッコ良く言えば、遊びは個人の主観的、美学の追求になる。それが面白いし、他人からやせ我慢と言われようと、感覚が求めているのなら良いと思います。どうせ
遊びなんですから、ヨットも自由自在、自分も自由自在に!

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