第四十二話 ヨットを遊ぶ

スピードを遊ぶ、キャビンを遊ぶ、旅を遊ぶ。クルージング派に考えられるもうひとつの遊びは、ヨットそのものを遊ぶという事があります。自分の気に入ったヨット、美しいと感じたヨット、そういうのを自分の手で走らせるという楽しみです。

欧米ではヨットの浸透度が高いと言いますか、深いせいで、そういう乗り方もあるように思います。別にキャビンが広いから実用的と考えたわけじゃない。スピードが特に速いわけじゃない。そうでは無いんだけれど、このスタイルが気に入ったとか、美しいと感じたとか、ただそれだけの事。遊びとか趣味とかはそういうもんだろうと思います。理屈で、ここが優れているから気に入ったという事でも無く、何となく魅かれるとかですね。

そういう気に入ったヨットを、磨き上げて、自分なりに動かしてやる。時々、乗って、動かしてやる。それだけでも充分に満足感を得られる。ヨットを理屈で見れば、セールエリア、重量、バラスト比、そういうデータを気にしますが、最後は気に入ったかどうかになります。このラインが何とも言えないとかそんな事でも良い。そのヨットがどんなヨットであろうが、性能が良かろうが悪かろうが、自分が気に入る事が最も重要かと思います。

そのヨットを、週末を楽しみに、マリーナへ行き、舫いロープを放つ。そして、数時間のセーリングを楽しむ。特に、何ノット出たとか、上りの角度がどうとか、そんな事よりも、そのヨットの持つ能力を確かめるかのように、或いは、ただひたすら帆走する。そのヨットの感触を味わう。それだけでも楽しい一時を感じる方々もおられます。誰よりも速く、誰よりも遠くへ行きたいわけじゃない。ただ、気に入ったヨットで、自分の思い通りに帆走できれば、それで良い。そんな乗り方も、なかなか粋じゃないかと思います。

この気に入るというのは、自分が美しいと感じる事だと思います。どういう美しさかは、自分の価値観で良いわけで、その気に入ったという事実、美しいと感じた事実さえあれば、そのヨットの性能がどうこうなんかは二の次でも良い。その気に入ったヨットをいかに美しく走らせるか。そういう遊び方もある。

  この写真のヨットも、そんなヨットであろうと
  思います。31フィートの木造艇、それにきれ
  いなセールを張って、美しく走らせる。
  決して、キャビンが広いわけでも無く、他の
  ヨットより速いわけでも無い。しかし、オーナー
  はこの美しさに惚れこんだに違いない。彼は
  このヨットを磨きこんで、美しく保つ事、美しく
  走らせる事だけで満足なのかもしれません。
  遊びというのは、本来そういうものかもしれ
  ません。

  数値や装備を気にはしますが、だいたいそう
  いう事を気にしすぎるのかもしれません。速さ
  を遊ぶ、性能を遊ぶという事もありますが、
  この美しさを遊ぶというのもあっていい。

  どこどこに行ったとか、行かないとか、そんな
  事はどうでも良い世界。ただ、時々にでも、
  気に入ったヨットを帆走させて、その感触を
  楽しむなんて事は、なかなか粋であります。
  他のヨットに追い抜かれても、何にも気に
  ならない。そのぐらいの余裕があります。

  ここには、もうひとつのヨットの遊び方という
  ものがあります。ドジャーも無い。ビミニも無
  いそんな偏屈的なこだわりがまた良い。自
  分だけの美しさにこだわって、何が悪いでし
  
  ょう。それが遊びというもんかと思います。
人は旅を遊び、スピードを遊び、集いを遊び、性能を遊ぶ。ここにもうひとつ美しさを遊ぶという遊び方もある。みんな自分勝手に遊べば良い。遊びは自分の価値観の追求に他ならない。  

科学が発達してきたせいで、科学的に考える事を良しとします。いろんな事が解ってきたせいで、こうしちゃいけない、ああしちゃいけない、こっちが得、あっちが得、タバコを吸うと癌になる。ばい菌がうじゃうじゃいるから、こうして予防して、云々とたくさんの情報が流れる。そんな事ばかり気にしていたんでは、第一楽しくない。確かに、正しいのであろうが、楽しくない。こっちの方が速い、こっちの方なら何人寝れる。こっち方が便利、そんな理屈ばかりでは楽しくない。遊びは、感性が第一ですから、感性で選んで、感性で動かして、感性で味わう。それも良いなと思います。何か心の余裕さえ感じます

そう考えますと、こうではなくてはならないという事が全て崩壊してしまう。自由になります。好きなようにやれば良い事になります。解放される。それこそ遊びの遊びたる所以でしょう。大きなヨットがあって、小さなヨットがある。どちらもピカピカに磨かれ、どっちが上でも下でも無い。そのヨットはオーナーに気に入られたかどうか?オーナーは自由を満喫しているかどうか?

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