第四十六話 セールは伊達じゃない 

全てのヨットにセールがついています。そのセールは伊達についているわけではありません。そのセールを使って、そのセールフィーリングを感じてもらいたい、そうデザイナーは願う。ですから、いろんな事を考えてデザインしています。そのフィーリングはヨットそれぞれのデザイナーの意図がありますから、その意図したフィーリングを味わうのが良かろうと思います。それでデザイナーはどんなセーリングを意図しているのか、それを良く検討して、自分の求めるセーリングの味わいを得て、より良いヨットライフを築いていただきたいと思います。

デザイナーが意図したセーリングとはどんなものか?ヨットを見る時、そのヨットのデザイナーが意図したであろう性能を想像します。マストの高さ、リグの種類、艤装品の配置の仕方、フリーボードの高さ、また、データから見るセールエリア、排水量、キールの形状、深さ、バラスト重量、もっと突っ込んでみますと、船体に使われる樹脂の材料、工法等々、それらによって、だいたいの事は想像する事ができる。品質や乗り心地などもある程度は想像できる。

セールは付属品としてあるわけではありません。それが主機です。原動力です。ヨットは動くものです。どんな風に動くのか、どんな風に動かす事ができるのか、それが主題です。その主題の具合を実際にやって遊ぶ。それがヨット遊びです。そして、キャビンがそこに付随してきます。あくまでセールが主役だと思います。

ところが、いつの間にか付随だったキャビンが逆転して、セールを越えてしまいました。それを何とも感じないまま、いつの間にか気が付いたらそうだった。キャビンが主役の座に座るようになって、多くの人達はセーリングから離れてしまった。主役はキャビン、そしてエンジンが脇役、セールはまたその後の座に追いやられてしまいました。そうなって何年が経ったでしょうか?

かつては、クルーがたくさん居たし、セーリングするヨットが多かった。もちろん、キャビンもあったが、あくまでセールが主役であった。ところが今は違います。クルーが居なくなったから、そうなったのか、或いは、キャビンが主役になって、クルーの仕事が無くなったからそうなったのか?どっちかは解りませんが、クルーにとって、クルーである事の必要性はセーリングを面白くする事にある。セーリングが面白く無いならば、クルーは不要だし、クルーが居る必要性も無い。

クルーの件は兎も角、想像してみて下さい。ヨットの面白さはいろいろあるでしょうが、その最たる物は、いかなるヨットであろうともセーリングをする事によって、そこから得る事のできる体験、味わい、それをいかに味わい、より質を高めていく事にあると思います。どんな方法でも構わない。10人で乗ろうが、一人で乗ろうが、遠くに行こうが、近くだろうが、兎に角、セーリングをして、それをそのまま味わう。これしかない。そして、それを繰り返しながら、工夫したり、学んだりしながら、質を上げていく。ヨットの面白さはここにあると思います。確かにキャビンも楽しい事がある。でも、セーリングとは比べるまでも無い。

いかにセーリングするか、どのように操作するか、それによって、どんなフィーリングが得られるか?決して速いだけを言うのでは無く、セーリングから来る全てのフィーリング、その味わい、そして質の向上です。これを味わい、高めてこそ、その他の楽しみ方が合間の息抜きとして生きてくる。
何も激しくでは無く、自分のレベルで、自分のペースでスタートするのが良い。自分のレベルを味わう事からスタートするのが良い。ならば、マッチョマンも、体力不足も、老若男女、全ての人々がスタートできます。自分の面白さを追及する事ができる。これ無しでは、何年も続ける事はできないと信じています。もちろん、続けるには面白く無いとできません。仕事じゃないんですから。それでは、いかに面白く遊ぶかを考えなければなりません。それはセーリングに他ならないと思います。
セーリングを主役の座に据えて、もう一度セールフィーリングを取り戻しましょう。それがヨットを長く遊ぶ秘訣だと思います。主役の座をキャビンから、もう一度セールに取り戻しましょう。

想像してみて下さい。大の大人が、いろんな操作して、ヨットを走らせるわけです。その嬉々たる姿、まるで子供のようです。そう、遊ぶには子供になれるかなれないか。子供のように遊べれば、最高です。それには夢中になれる、何かが必要です。それはキャビンでは無い。セーリングにありと思いますね。

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