第八十六話 シート操作のみ?

最初は誰でもシートのみしか操作しません。ジブトラックのリードブロックは固定されたまま、メインシートのリードブロックも中央に位置したままです。それで、シートだけを使って、出したり引いたりします。しかし、ご存知の通り、走ることは走りますが、これだけでは、角度を操作しているだけになります。最初の頃はこれでも、ドキドキするでしょうし、楽しさも充分にあります。しかしながら、そのうちこれに慣れてきますと、それ以上の物というのは、本当に風任せになってしまいます。何とか良い走りをしたとしても、それは風に対する向こうあわせのセーリングです。

そこで、ジブのリードブロックを前後に、メインシートのリードブロックを左右に、そういう操作を取り入れる。これだけで、風を取り入れたり、逃がしたり、それもセール形状が変わりますので、調整の幅が広がります。さらにバングを使う、バックステーアジャスターを使う。そうしますと、セールドラフトの深さの調整、ツウィスト、角度、そういう3次元の調整になりますから、幅はもっと広がる事になります。シートだけでしたら2次元ですから、3次元になるとかなり難しくなりますが、そこが大人の遊び、何十年でも続けられる要因でもあります。

野球をするのに、投げて、打って、走るだけよりも、ピッチャーならカーブが投げられるようになるとか、ルールに精通するとか、サインプレーをするとか、いろんな要素を取り入れる事によって複雑にはなりますが、確実に質が上がり、面白さが増えてくる。めったにしない野球なら、楽しいだけでOKですが、何度もやって、何年も続いていくなら、こういう質を高めていかないと、そのうち楽しささえも最初の時からすると薄れてくるのではないでしょうか?あらゆるスポーツがそうだろうと思いますし、頻度が高い、長く続ける、そういうものは何でもそうかと思います。

絵を描く、陶芸をする、園芸でも、何かを作ったり、何でもそうです。腕を上げる、質を高める、そういう事が面白さにつながり、長く続けていく事ができる。趣味とはそういうもんかと思います。コレクションの類でもそうでしょう。最初はどこにでもある物から始るかもしれませんが、そのうち、これが趣味と化すと、どんどん集めて、なかなか入手できない物が手に入りますと、きっと嬉しいでしょう。
知識も豊富になっていきます。

つまり、何事も、そういう同じ過程を通り、面白さが増えていきます。そして、それらを行うに、学びが必要となり、練習が必要となります。でも、それらの努力は一般に思われる苦しさと戦う努力では無く、楽しいはずです。ですから、本人は努力しているという意識はありません。

しかしながら、ヨットにおいては何故にそういう過程を取らないのか?もっと良い絵を描きたい、もっと良いプレーをしたい。それと同じように、もっと良いセーリングをしたいと思っても不思議では無い。ところが、他とは違う面があります。それは自然相手であるという事です。この自然は思った通りにならない。こうしよう、ああしようと思っても風が無いとどうにもならない、強すぎても困る。思った通りにならない事が、計画を思い通りに運ばせない。

確かに、そういう面があります。それをどう考えるかです。気儘な風をどうするか?つまり、自分の望む風速だけをどうにかしようと考えますと、そうはいかない事が多くなる。よって、風が無いのはどうにもなりませんが、多少あれば、弱い風は弱い風なりに、強い時は強いなりに、その中で、より質を高める必要があります。そうやって、あらゆる風の中で最良のセーリングができるようになる。
気持ちの持ち方次第です。それだけ、他とは違う条件の中でやってるわけです。その代わり、これも他とは違う、息をのむような最高のフィーリングを得る事もある。支払うものが多ければ、それだけ得るものも多い。

より質の高いセーリングをするには、それを感じる感性が必要になります。その感性があってこそ、面白さに繋がる。その感性を養う意味でも、知識を得て、理屈を覚える事が必要かと思います。そして何故そうなのかと自問する事も必要かと思います。何故、その操作が有効なのかと。この解る事が感性にとって、感じる準備をさせていくかと思います。そして、試した時、今までとの違いが解る。違いが解ると、それだけで質は向上していますから、もっと求める事になる。それが面白さの始まりで、これはやってみないとわかりません。もう少し何かして、向上を図る。その意識が重要かと思います。乗りこなすとか、うまいとかへたとかどうでも良い事で、要は、今居る場所から、質の向上を図る事、それが面白さをもたらすのではないでしょうか。

そうなってきますと、乗っていない時でも、頭の中でいろいろ考える事もある。シュミレーションがあったり、何故こうなのかと自問したり、答えを見つけたり、それも遊びの一貫でしょう。そんなこんなを何年もやっていますと、きっとある時、かなりの腕前になっている事に気づく。それも嬉しい発見です。セーリングは楽しさと同時に面白さの追及に他ならない。それにはその面白さを求めなければ、面白さはやってこない。

面白いという感覚を常にキープしたい時、これは端から見ると結構大変な事に見えます。しかしながら、本人、つまりその中に入る事ができた人にとっては、楽しい作業になります。他人は努力の人と言い、本人はただ楽しくやってるだけ。これこそが、面白さの秘訣です。どんな事でも、突っ込んでやるような事は、外から見れば大変そうに見えるものです。これで、本当に本人が大変だと思っているなら、長続きはしないでしょう。でも、大抵は、本人は楽しくてしょうがない。

一件、一件を完結としてみていきますと、そりゃあ、楽しくない事もある。でも、一連の流れとしてみる時はまた別の評価になります。我々は点では無く、線或いは面として生きてますから、点としてはいろいろあります。しかし、長い目で見た時、それはどう評価されるのか?点をいちいち評価する必要は無い。そのいろいろある点を全部合わせて、今がありますから、そのひとつひとつの点のお陰という事になりますね。

という事は、今日セーリングに雨が降ったとか、強風だったとか、スプレー浴びたとか、走りがよくなかったとか、そんな点をひとつづつ、良い悪いと評価してもあまり意味が無い。もっとおおらかに総合的に見た方が良いという事になります。

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