第九十四話 自分のゲーム

人それぞれ、いろんな人生があると言われますが、自分の人生の中にだっていろいろある。気になる事は他人の人生はともかく、自分の人生であります。人はそれぞれいろんな人生観を持っていますが、私の今のところの結論は”いろいろある”という事です。

きれいで、スタイルが良く、性格も良い。そんな嫁さんをもらっても、やはりいろいろある。世界最高のヨット、豪華で、性能の良い最高のヨットを手に入れてもいろいろある。仕事に成功しても、有名になっても、夢を達成しても、やはりいろいろある。何であってもいろいろある。人は何かをすれば必ずいろいろある。それで何もしないと何も無いのかと言いますと、やはりいろいろあるし、何もしないでは居られない。何かを達成しても、夢を果たしても、その瞬間は幸福感もあるでしょうが、やはりその後はいろいろあるわけです。幸福の絶頂感を感じながらも、時とともにいろんな事がやってくる。

どうせいろいろあるなら、自分のやりたいゲームをやるのが一番良い。となりますが、実は、既にみんな自分のやりたいゲームを既にしている事に気付きます。それは何かを避けるゲームかもしれないし、世間の目を気にするゲーム、安定を求めるゲーム、評価されたいゲーム、有名になりたいゲーム、私はヨットを売りたいゲームをしています。

そこで重要な事はどんなゲームをしようと、自分が何をしているか、どんなゲームをしているか、そしてどんな感じを持っているかを意識する事ではないか?意識する事で、それが自分にあっているかどうかが解るようになるのではないか?すると、やがては自分の本当のゲームができるようになるのではないか?

元々幸福なんてものは無く、いろいろある出来事をどのように解釈し、どのように対応し、それを面白がる事ができるかどうか?そこに宗教なるものが登場してきて、ああです、こうですと唱える。しかし、それでもいろいろある事は変えられない。つまりはゲームとして遊ぶ事ができるかどうかになっていく。

ヨットで世界一周しようが、デイセーリングで遊んでいようが、どっちでも良い。どうやったら自分の面白いゲームができるか、そして面白いと思ったがうまく行かない事でも、ゲームの一環として面白がる事ができるかどうかになる。という事は何をするか、したかよりも、どう解釈し、どういう態度で居られるかが重要になる。まるで映画を見るように。喜びを感じながら、悲しみを感じながらも、全体を見るもうひとりの自分が居る。そんな事ができるのか?解りませんが。

デイセーラーがキャビンが小さいとか、そんな事はたいした事では無い。サイズが大きいとか小さいとか、装備がどうとか、そんな事はたいした事では無い。問題は、それで自分の面白いゲームができるかどうかが重要です。今からしようとするゲームが、面白いかどうか?それが解るのが感だろうと思います。損か得かのゲームでは無く、自分のゲームをして、それをいろいろあるが面白がる。面白がるには自分のゲームをしなければならない。それは感をもって判断するのが良いのでは?

実は、ヨットをしようが、しまいが、するにしてもどんなヨットでどんな乗り方をしようが、本当はどうでも良いわけで、問題は自分の本当のゲームかどうかが重要ではないか?自分のゲームじゃないゲームは面白く無いし、ましていろいろある中で面白がるなんてできない。自分のゲームなら、面白がる事ができる。もし、自分のゲームさえ面白がる事ができなければ、それはもう不幸の何物でもない。

という事は他人に意見は聞いても自分で決める事が重要になります。世間の評価は参考にしても、自分で決める。そうでないと幸福にはなれない。他人から見たら悲惨であっても、本人がそれを面白がる事はできる。自分のゲームならばという条件付きですが。

自分のゲームは楽しい事ばかりでは無い。いろいろある。ですから、どんなゲームであるにせよ、面白がる事ができるかどうかが鍵を握ることになる。さあ、このTALKはヨットに関する事が目的ですから、今からやるヨットを、どう感じるかが重要です。する事はなんでも良い。動かせないでほったらかしにするゲームでも良いし、自由に乗り回すゲームでも良い。いずれにしろ、どう感じているかです。それで、私はヨット販売のゲームをしていますから、ヨットを紹介し、そのコンセプトはこうですと説明し、そのコンセプトを自分のゲームに採用されませんか、とお誘いしています。それにピンと来た方にはきっと面白いゲームができると信じます。

そこで、自分のゲームを発見し、それを実行に移すという行為を手段にしながら、その行為を通して、トータルで面白がる事ができる。それは自分のゲームだからでしょう。いろいろあるけれども、自分のゲームであれば、良い事も悪い事もあるけれども、面白がる事はできるのではないか?
まずは、自分のゲームにたどり着く事が肝心かと思います。それはひとりひとり異なる。もし、自分のゲームでありながら、面白がる事ができないならば、それは自分が特別な存在で、自分には良い事しか起こってはならないという傲慢さがどこかにある。という事は傲慢さこそが克服すべき事かもしれません。傲慢さは不幸のはじまりという事になります。

私の提案はデイセーリングというコンセプトです。それがみんなに合うわけでは無い事は解っています。ですから、提案はしますが、説得はしません。否、できません。電話攻勢もしません。ただ、時々提案はします。このコンセプトが合う方は少なからずおられると信じていますから、そういう方々に多く届いてくれればと思っています。そして私の話のどこかに、ピンと来て頂ければ幸いです。
それは説得ではなく、元々あった要素に触れた事になります。元々あるのに、今はピンと来ないという事もあるでしょう。それは時を待たねばならない。自分のゲームをやる準備ができていないという事になります。

前話に情報過多と書きましたが、結局はたくさんの情報から、自分がピンと来る事が大切で、それが自分のゲーム、自分のゲームなら、それ以上に面白いゲームは無い。ピンと来る為には、いつも何を感じているかを意識する事、それで自分のゲームをする準備ができる。そうしたら、多くの情報の中から、簡単に自分のゲームを見つけ出す事ができるようになる?

いろんな業者がいろんなヨット、コンセプトを紹介しています。そのどれにピンと来るか?理屈を超えた感を働かせて下さい。最後は理屈では選べないものだと思います。ピンと来ますと、自然に良いところを探すようになる。わくわくした感覚もあらわれる。波長が合うと言うんでしょうか?気になってしょうがなくなる。

でも、まあ、結局は今の自分の状態に相応しい事に遭遇するようにできてると思いますね。選んでいるようで、選ばれていると言いますか、何も目的を持たずに流れに沿うというのも良いかもしれないですね?で、数年前に書きました”である事”というのを思い出します。自分が何であるか?それに呼応しているのか?

次へ               目次へ