第七十八話 求めるはカッコ良さ

何だかんだと言っても、何を求めるかと言えば、一言で言えばカッコ良さでしょう。人はうまいセーリングにカッコ良さを見つけ、大きな、豪華なキャビンにカッコ良さを見出し、遠くに旅ができるカッコ良さもある。そういう事ができる人はカッコ良いわけで、それが望み。逆にカッコ悪いような事はしたくは無い。

自分のカッコ良さはどこに見出す事ができるのか、これが最も重要かもしれません。ヨット乗りはカッコ良くなければならない。ヨットを所有しているだけでもカッコ良いのですが、もう一歩踏み込んで、さらなるカッコ良さを手に入れる。

ゲストを招待して、大きなキャビンで、みんなで宴会をする。これもカッコ良い事です。誰でもはできない。桟橋から、いとも簡単にヨットを出していく。これもカッコ良い。仲間や家族を招待して、ちょっとした旅に連れて行く。これもカッコ良い事です。人ができない事ができる。これがカッコ良い事になります。美しいヨットを所有する。これもカッコ良い。使い込んで、そのヨットをきれいに維持する。これもカッコ良い。カッコ良さはそこかしこに在ります。

これらは、初期段階のカッコ良さかもしれません。最初の1,2年では充分にカッコ良いのですが、5年、10年と経過していきますと、これらのカッコ良さだけでは不十分になっていきます。それで、もう少し突っ込んだカッコ良さを求めることにしましょう。

ひとつはセーリングがうまくなる事だと思います。そしてもうひとつ、旅なら、より遠くへという事になる。長年ヨットをやり続けていく方は、多分、このどっちかに魅了され、それぞれのカッコ良さを求めるようになるのではないでしょうか?或いは、もう殆ど乗らないかです。自分の中のカッコ良さを求めていくのは、ひとつの方法かと思います。

稼動率を考えますと、年間にそうたくさんは乗りません。月平均で1回ならわずか年間12回、2回なら年間24回、比較的多い方でも、年間のうち300日以上はヨットには乗らないわけです。で、ヨットは無駄かと言いますと、とんでも無い。所有しているだけでもカッコ良いのですが、前述しましたように、最初だけです。それで、300日をカッコ良く過ごす為にも、乗る時のカッコ良さが必要になります。たまにしか乗らないでも、乗る時はカッコ良い事が必要かと思います。すると、300日もカッコ良く過ごせる。そりぁそうでしょう。良い旅をしてきた時、良いセーリングをしてきた時、その記憶は残ります。その記憶が、300日のカッコ良さを作るかと思います。

乗るカッコ良さの記憶は、メインテナンスをしている時、キャビンで宴会している時、ちょっと近場に上陸して飯を食いに行く時、家に居ても、仕事の合間にも、ネオン街をさまよう時でも、影響を与える。ですから、乗る時はカッコ良さを目指す。

どういうセーリングがカッコ良いか、どういう旅がカッコ良いか、もちろん、レース好きはレースでも良いのですが、自分なりのカッコ良さを求める事は重要かと思います。カッコ良さにも、人それぞれでしょうから、自分のカッコ良さが必要でしょう。ある人はでかいヨットに乗る事かもしれませんし、ある人は自由自在に動かす事かもしれません。ある人はシングルハンドかもしれないし、またある人は大勢のクルーを引き連れて、彼らを自由に動かしたり、良いチームワークを発揮したりする事かもしれません。何でも良いのですが、自分が思うカッコ良さ、この一点が必ずあった方が良いと思います。

そのカッコ良さを、時折かもしれませんが、実行する事によって、残りの300日にも影響を与える。
ヨットは1回乗ったら、2〜3週間分のパワーを持つのかもしれません。そういう意味では中身が濃い。その1回をいかに過ごすかは、とっても重要という事になりますね。そう思って、マリーナに行く。でも時化て乗れない事もある。しかし、そういうつもりの意識がある事がカッコ良さを維持するのではないかと思います。たまたま、今回は乗れなかった。でも、カッコ良いのです。

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