第二十話 Are you ready?

準備はできてますか?ヨットに乗る限りは、最高のしびれるようなセーリングを一度は体験して頂きたい。何とも言えない感覚、しびれるような、否、無心で走る感覚、それは偶然に起きるのかと言うと、そうでは無いと思います。誰にでも、偶然良い風が吹けば、同じ感覚が得られるかと言うと、それは違うと思います。だからと言って、腕の違いかと言うとそれも違うと思います。

それは準備ができているか否か?ではないかと思います。準備というのは、気持ちの問題で、今の腕の問題では無いと思います。今がどんなであれ、良いセーリングをしたいと望み、ああでも無い、こうでも無いと考えながらセーリングしている時、それは偶然と言えば偶然かもしれませんが、自分が準備ができていないと、その偶然がきても解らないものではないかと思います。

ひょっとしたら、偶然というのは、どこにでもあり、その偶然に気がつくかつかないかの違いと言えるかもしれません。もちろん、気分があまり乗らない時もあります。ピクニックする時もあります。しかし、全体の姿勢として、セーリングを求める気持ちがあるかないかの違いではないかと思います。そうなりますと、何も快走だけが面白いのでは無く、いろんな場面に面白さを発見できるのではないかと思います。

いつものように走っていながら、ほんのわずかな違いを感じる。セールに引っ張られるような加速感を感じる。微風で静かでありながらも、その走りを感じる。快走以外にも、いろいろ感じる事があります。舵を持つ手にも感じますし、船体の動きも感じます。雨が降ったり、飛沫を浴びたり、誰もが経験する事ではありますが、それが面白さに変わる時があります。それは何か、と考えれば、受け取る側の準備ができているかどうかではないか、と思います。

どんな感じであれ、感じている事が重要で、それが面白さだと思います。そうでなければ、感じる事が大雑把になり、楽しいか、楽しくないかの二つにしか分けられなくなる。こういう分け方をしますと、楽しくない方がだいたい多いと思います。それで、この二つの分け方をせずに、ただどんな感じがするか、それだけを意識する。そしてこの意識をするという事は、セーリングに集中している事、良いセーリングをしたいと思う事ではないかと思います。そうしますと、どんな感じも、感じたという事実で、そこに良いも悪いも無くなる。分ける気もしなくなる。

昔、フライフィッシングをした事があります。腕はからっきし駄目でしたが、ある人に同行し、良く行ってました。それが、ある日たった一匹しか釣れなかったのですが、実に充実感を覚えた事があります。登山もした事があります。ただ、頂上を目指して、毎日歩くのみ、退屈であり、疲れるし、でも、とってもいい気分になれる事があります。つまり、何をするにしても同じ事が言えるのではないか?準備が整いさえすれば、そこに大きな何かがある。それで、みんないろんな事に夢中になってやっているのではないか、と思います。その為には、その方角に向かっていく必要がある。

ヨットが娯楽としてでもOKですが、それだけに終始しますと、エンターテインメント性が低い為に、ちょっと物足りなさを感じる。それで、もうちょっと進むと、きっと何かが見えてくるような気がします。この境目は大きな違い、この1歩はジャイアントステップなのではないか、と思うわけです。この一歩を踏み出すと、I am ready! となるのではないでしょうか。

実にマニアック的に聞こえるし、一般受けしない話をしています。でも、レジャー的エンターテインメント性が低い日本である以上、ならば、もうちょっと進んだ方が、どうせヨットやるなら、絶対面白いと思います。登山しながら、頂上までの間に、ちょっと喫茶店でお茶飲んで、次にまた別なお店でおみやげ買って、そして最後に頂上に着く。これも楽しいんです。これができれば良いですが、実際は喫茶店が途中にあるわけではありません。それでもやる人は、きっと頂上に上って、実に爽やかな気分を味わってるでしょう。それを知っているから、また上る。そのうち、頂上だけが全てでは無いと解ってくる。途中も面白いと思うようになってくる。

世の中で本当に楽しんでいる人達は、少数派かもしれません。マニアックな人達かもしれませんね。それなら、分野は何であるかは自由ですが、どこかでマニアックになってみると実に面白い。その他はレジャーでも良いわけです。どれかひとつマニアックになって、その本当の面白さを味わってはいかがでしょうか。余計なおせっかいですが。

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