第三十一話 セーリングは面白いのか?

セーリングは面白いのか?と聞かれれば、私がYESと答えるのは当たり前の事です。しかし、面白いというのは、人によっていろんな価値観を持っていますから、それぞれに違う事になります。本当は、その行為が面白いのかというより、その人が心の中に本来持っている面白さ、これが外界の何かと接する事によって反応する。つまり、面白さは外界によって引き出される自分の中にあるものと考える事ができます。という事はセーリングは面白いのか?という質問より、セーリングはこんなもんですと表現できれば、うまい事的確に表現できれば、後はそれに反応するかどうかという事になる。本当は、面白さはあなた任せという事になります。

それで、セーリングとはどんなもんか?現代のプレジャーヨットは、レースに使うセーリングもありますし、旅の移動に使うセーリングもある。レースはいかに効率良く走れるように操作し、スピードが命という事になり、旅においては移動の目的となります。しかし、ここにもうひとつ違うセーリングがあり、それはスピードを楽しむと同時にあらゆる動きのフィーリングを味わうというものです。この場合のスピードは決して勝負に勝つ為では無く、そのスピードの味わいの為です。という事はフィーリング主体のセーリングがあるという事になります。

味わう為のセーリングは、快走だけが全てでは無く、あらゆる状況において、どんな操作をして、どんな動きをして、それら全体を味わうものです。セーリングの全てを味わうと言っても良いと思います。シングルで乗るセーリング、ダブルや何人ものクルーを引き連れて乗るセーリング、ゲストを迎えてのセーリング、微風から強風、スタビリティーの違いから来るフィーリング、緊張感、のんびり、
波に対する動き、自分の腕の上達、セーリングに関するありとあらゆるものをそのまま感じ取るセーリング。

自然を変える事はできません。もっと吹けばとか、もっと風が治まればとか、そういう事は不可能ですから、そのままを受け入れる事になります。そして、その状況に自分がいかに対応し、調和できるか、それをそのまま味わう事になります。うまく行く事もあれば、そうは行かない事もある、それら全てをそのまま味わうというものです。

ヨットはマイナーなスポーツ、そのマイナーに敢えてやろうと乗り込んでこられたわけですから、セーリングが嫌いな人は居ないと思います。少なくとも、程度の差はあれ、好きで来られたと思います。しかし、快走セーリングだけを面白いと感じるならば、たいして遊ぶ事はできませんが、もし、ここに書いたように、どんなフィーリングを得られるか、自然に対してどこまで調和できるか、そのままを感じてみる。すると、セーリングに対しては別の見方もできるかもしれません。ただ、マリーナから出て、その日のセーリングを味わってみる。快走もあれば、漂う事もあり、強風に恐怖を感じたりもある。それに浸ってみようというわけです。そしてできれば、それらを良いと悪いに分類せずに、そのままを味わってみようという事です。

何をするにも、いろんな事があります。自分にとって良い事ばかりを目指しても、やはりいろいろあります。良い事ばかりを目指すと、いろいろありますので、その分嫌な事も強調されてくる。セーリングは、それで何かをしようとか、何かになろうとか、そういう事が無い限り、そのままを味わう事ができる。今日のセーリングはどんなかな、と思ってセーリングできれば、一番良いのではないかと思います。ですから、時間さえあれば毎日でも乗れる。どんなフィーリングにしろ、ヨットでなければ味わえないフィーリングです。

そうやってセーリングをしていますと、いつか、しびれるようなセーリングに出会う事になります。単なる快走とは違います。全てが整う事がある。それは厳しいレースでの優勝であり、長い旅の達成感とも匹敵するものと思います。

セーリングは面白いのか?に答える事はできません。しかし、セーリングにはあらゆるフィーリングが詰まっている。後は、それを味わいたいと思うかどうか、やはりあなた任せなのです。きっと、皆さんが持つ面白さを引き出してくれると思います。何故なら、セーリングにはあらゆるフィーリングがあるからです。快走だけを求めるので無ければ、セーリングはいろんな味わいがある事に気付きます。それらを良いと悪いに分類さえしなければ、きっと面白いに違い無い。

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