第九十九話 ゲーム

我々はみんなゲームをしています。そう考えますと、ちょっと違ったニュアンスを感じます。バブルの頃はそういうゲーム、その後の不況、今の不況はまたそういうゲームをしています。がっかりしていても仕方ありませんので、ゲームとしていかに面白がる事ができるかにかかっている。良い時、悪い時、必ず両方あるわけで、いかにそれらを面白がる事ができるかが、楽しむコツではないかと思います。

セーリングにしても、良い時もあれば、悪い時もあります。良いか悪いかは相対的と言われますが、どんな時でも、いかに楽しむか、否、いかに面白がるかによって、過ごした感じは随分違ってくるように思います。セーリング以外でも、何でも同じだろうと思います。

天候はその日によって、或いは時間によっても変わります。良い時は誰でも、面白さを感じる事ができますが、無風になったり、強風になったり、雨が降ったり、雪が降ったり、そういう時に面白さを感じられるというのは難しい。しかし、この難しさにおいて、もし、楽しくは無いにしろ、面白さを感じる事ができるなら、セーリングはもっと面白いものと感じられるようになる。どうせやるなら、そういう少しでも面白さの幅を持たせた方が得でもあります。全てとは行かないまでも、少しでも。

困難な時に面白がるのは簡単ではありません。簡単では無いからこそ、人によって違うし、そこに価値も生まれてくるのではないでしょうか?誰でもできない事です。無理に困難に向かう必要もありませんが、出てしまったら仕方ありません。それが強風だったら、無風になったら、それなりにする事に集中して、何かに集中する事によって、つまらないとか怖いとかを考えない。今はそういうゲームをしているに過ぎない。

つまり、どんな時にもゲームをしているという事を意識していますと、何か面白さを創造できるのではないかと思う次第です。簡単ではありませんが、出たものは仕方無いのですから。がっかりしても、何も得にはならないわけで、ゲームとしてうまく行かなかったら、再チャレンジすれば良いだけの事。もっと気楽に考えた方が良いような。

この今の状況で、どんなゲームができるか?そこに差が出てくるような気がします。どんなゲームでも良いのですが、それをいかに面白がる事ができるか?それが全てではないかと思います。面白いなら何でも良い。いかなる時も、自分の面白さを創造してみる。それができれば最高です。でも、それが難しいので、退屈になる。つまらなくなる。良い時だけを期待します。しかし、そんな事は有り得ない。いろいろあるのがヨットです。ならば、面白い方が良いに決まってます。ですから、創造しましょう。そう意識してみましょう。何かが違ってくるかも?少なくとも、気楽さが少しでも出てくるような、余裕を感じられるような、そんな気がします。たかがゲームですから。されど、ゲームなんですね。

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