第十話 2009年

新年、明けましておめでとうございます。いよいよ2009年の始まりです。毎年の事ではあるのですが、新年を迎えますと何か新しい気持ちになるものです。

昨年秋の金融問題で世の中騒然としておりますが、しかしながら、よくよく考えてみますと、円高問題については、円の価値が上がるという事が悪い事のようにのみ報道されておりますが、見方を変えますと、世界の国で、円の価値が上がるという事は、それだけ評価が高いという事です。欧米は疲弊している中、日本は技術はあるし、お金もある。なのに何故これだけ嘆く必要があるのか?不思議であります。唯一、輸出が難しい。この一点でもって、悲観的になっているわけであります。
では、どんどん円安になれば、好景気になるのか?多分、今度は輸入価格の高騰で、また悲観的な論調が増えるのではないか、輸出原料の価格高騰を嘆くのではないか?不思議であります。

ここにきて、冷静に見ますと、確かに輸出は良くないでしょう。しかし、GDPの60%は個人消費だそうです。それに海外純資産は世界一、個人の持つ金融資産も膨大であります。一方、物造りは合理化によって、少ない人手によって、充分まかなえるほどの量を造れるようになった。という事はそこで人が余る。これが失業率として増える事になる。合理化に対して必然におこる事であります。その分、輸出が伸びればカバーできるのでしょうが、そうもいかなくなった。

日本はお金はあるのだが、多くは貯蓄に回る。個人消費が伸びれば企業は投資もできるが、それが伸びないなら、国は国債を発行して、借金造って、消費を創造するしかない。それが今日の国の借金?日本が生き残る道は、どうしても国内需要の増加にあるような気がします。その為に何をするか?これが政府の役目。考えてみれば、企業は海外に工場移転してきたし、円高影響がどれだけあるのか?逆に考えれば、円高メリットをいかして、国内需要を高める。新しい産業の創出などが必要なのかもしれません。

既に生活必需品はある。そこで何にこれからお金を使う必要があるのか?それは個人の感性を刺激したり、美しさ、文化、環境、そういう物になるのかもしれません。そこで、個人消費が伸びれば、企業も投資ができる。そこに雇用も生まれる。政府はそういう道を作らなければならないのかもしれません。

そこで私としては、ヨット販売になるわけです。無理矢理こじつけてみました。でも、一理あると思います。ヨット業界はまだまだ未熟であります。数も少ない。日本はそういう文化を広めるに充分な国であります。それは贅沢品という認識から、そういう文化への高まりを意味します。何でも考えようです。個人の感性から、町にマリーナがある美観へ、そして文化の高まりへと進む。

既にヨットをしている方々は、そのパイオニアです。個人のレジャーもあるでしょうが、全体では文化の担い手でもあります。そして我々はそのお手伝い。これまでは、どのように使うのかによって、何ができるのか、という事がテーマでした。それは今後においてもあると思いますが、加えて、そのヨットによって、何を感じる事ができるのか?それが2009年からスタートのテーマとして加えていきたいと思います。感じる事は、とっても重要な事だと思います。何しろ、我々の究極的な目的はそこにあるからです。幸も不幸も、喜びも悲しみも、面白さも緊張感も、全て感じるものですから。これまでは、その感じる手前の事に重点を置いてきました。でも、これからは、意識をこの感じる事においてはどうかと思います。宴会をすれば面白いだろうと思ってやります。でも、これからは面白い宴会をやるという事になります。では、面白い宴会とは何か?

ヨットを始めるに、面白いだろうと思って、いろんな装備をつける事に集中してきました。それはそれで正しい部分もあるのでしょうが、よくよく考えて見れば、それらは、面白さでは無く、便利さの追求でした。便利が必ずしも面白さにはならない。そこのところも考えて、面白さとは何か?
セーリングをすると面白いだろうと思ってやります。でも、面白いセーリングとは何か?こっちの方が重要です。その面白さを最初から意図するわけです。2009年、面白さについて考えていきたいと思います。面白い事をしよう。面白く無い事はしない。便利さも必要ですが、それ以上に究極は面白さが必要です。

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