第四十八話 風の操作

セーリングはいかに風をコントロールするか、それを楽しむのが目的になると思います。風が弱い時には、セールをゆったり張って、揚力を大きくしますが、徐々に風が上がると、セールは少しづつフラットにしていき、そのヨットの限界にきますと、そのままではヒールするばかりになりますので、今度は風を少しづつ逃がす。

ヨットはいつもスピードと関わりを持っています。微風で遅いのなら、目一杯上るより、少し落として走って、スピードをつけた方が良い。強風でヒールが大きすぎるなら、セールを出せば良いが、角度は落ちる。ならば、風を上部から逃がして、下側で上り角度を取る。

セーリングは常に、スピード、角度、風の強さ、それに対するヨットの性能とのバランスの取り方で決まる。スピードを意識するのか、角度を意識するのか、それによっても操作が変わってきます。
複雑と言えば、複雑かもしれませんが、要は、乗り手側が何を意識するかによる事になります。

レースはそういう意味では、いつもこの角度かスピードかを意識して走っています。しかし、レース無しではあまり意識していません。特に、角度は意識しないでしょう。何しろ、ゴール地点が無いのですから。

それでスピードだけを意識して走るという手もあります。この場合、艇のバランスとの兼ね合いになりますが、風や波の具合という要素が絡んできますので、これだけでも面白いセーリングができると思います。スピードを意識して走るセーリングは、何も意識しないセーリングとは違いテーマがあるので、基準ができます。

これに角度が絡むと事は複雑になっていきます。ややこしいとも思えるし、その複雑さが面白いになるかもしれません。A地点からB地点に最も速く着く方法は?これには角度が欠かせなくなります。たまには、適当なブイ回りなども勝手に設定して、スピードと角度の両方を意識してみるのも、面白さを得る方法かと思います。結局、レースという場面設定が、否応無しに、スピードと角度を意識せざるを得なくしてしまいますから、レースの遊びは、ここにあると思います。なかなか自分だけでは、角度までは意識できないのかもしれません。

でも、自分だけのセーリングも、角度を全体に無くても、部分的に意識しても良いかもしれません。但し、相手という基準が居無いので、どれだけ効果的に走っているのかが判定しづらいのが難点です。でも、何となく方向を決めてするセーリングも良いし、また、時にどこか設定しても良い。意識する事で全てが始まりますから。

しかし、これらはみんな遊びの手段に過ぎません。速いのが良いわけでは無く、速さが与えてくれる何か?遠くに行くだけなら、車ですぐ行けるけれども、ヨットで行く事による何か?

レースのセーリングはスピードと角度、デイセーリングはスピードとフィーリング、それに角度をたまに。この中でもデイセーリングはフィーリングが重要だと思います。レースは勝つ事で完成します。優勝で無いにしろ、ファーストホームでは無いにしろ、あのヨットには勝った。これが重要でしょう。でも、デイセーリングのセーリングは、勝てない、負けない。最後はどんなフィーリングだったかで完成する。

フィーリングを遊ぶなんていうのは、実にカッコイイ乗り方ではないかと思います。誰かが、20世紀は物を追いかけてきた時代、でも、21世紀は心の時代と言ったとか、言わないとか。ヨットをやるには物であるヨットが必要ですが、20世紀は所有する事で良かった。しかし、21世紀はそれをいかに使いこなすか、そしてどんなフィーリングを得られるかという時代。そこにこだわる時代かもしれません。大きいとか小さいとか、装備がどうこうも重要な要素でしょうが、それ以上に、どんなフィーリングを与えてくれるのか?

物を求める時代というのは、見方を変えれば所有と、その便利さを求める事。確かに、20世紀において我々は多くの物を持ちましたし、便利になりました。それで生活レベルは上がってきたわけですが、これからは、もっとレベルを上げる方向なのか、或いは、ちょっと周りを見渡して、それらの物で、便利さ以外、もっと違う何か、究極的にはどんなフィーリングを得られるのかに注目しても良いのではないかという気がします。

冷たいビールはうまい。でも、持ってるだけでは何も面白くありません。それは実際に飲んで、それを味わう事の方が、遥に重要ではないかと思います。ビンテージの高級ワインを持つよりも、安くても飲んでみる事の方が、リアルに感じます。高級ワインを飲めればもっと良いかもしれませんが。つまり、何にしろ、味わう事、使ってみる、乗ってみる、それをいかに?

世の中不況です。そりゃあそうでしょう。今は物があふれた時代ですから、昔みたいにどんどん買う必要性が無い。不況という言い方よりも、なるべくしてなる状況、いずれはこうなる状況、言い換えれば成熟度の高まりみたいな感じもします。それじゃあ、これからどうするの?きっと、味わう時代だと思います。そして、造り手は物がどんな味わいをもたらすのかを考える。便利では無く、味わいの方。というのはどうでしょう? 

味わいとなりますと、なかなか難しいですね。便利さを付加する方がまだ解り易い。でも、味わいとなりますと、難しいです。でも、だからこそカッコイイではないですか。いかに便利であるかを問うのはもう古い。これからは、どんな味わいなのかと問う時代かと思います。という事は便利だから買うのでは無く、感性の時代とも言えます。成熟の時代?

成熟したからこそ、感性の時代。頭脳偏重主義から、感性の時代へ。美しさ、カッコ良さ、フィーリング、それが動機、理屈を超えて、何かを感じる。これ何にも無いけど、でも、何か良い感じなんて事があります。こんな時、理屈はノーで、感性はイエス。20世紀なら、ノーでしょうが、21世紀はイエスの時代では無いでしょうか。

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