第六十九話 最良の選択

朝から晩まで、いろんな選択しなければなりませんので、その選択に最良を望むのは当たりまえです。では、最良とは何か?という事になります。何を基準に最良と言えるのか?その基準が曖昧ならば、最良もへったくれも無い事になります。という事は、基準を決める事、それが最良を選ぶポイントという事になります。

基準は多分、人によって異なります。それが価値観という事になると思います。ヨットを選ぶにしても、あらゆる面を考慮して、絶対的に良いヨット、或いは悪いヨットというのは無いという事に気付きます。高級感は無いが、でも安い。外洋に行けないが、でも近場でちょこちょこ遊ぶには充分という考え方もあります。という事は、ヨットが良いか悪いかを判断する前に、自分の求めているものが何かが解らないと、判断のしようが無い事になります。

基準はいろいろあります。しかし、何か1点、これだけは譲れない何か?それを決める事ではないかと思います。自分の最高の楽しみ方、他は犠牲にしても、これだけは確保しておきたい事、それさえあれば、そこを基準に最良の選択をするのは簡単になる。だいたい最良とかを考えて、何かを選択したとしても、それが本当に最良だったかどうかは、実際には判定できないものです。別な物を選択した場合、どうだったのか?と考えても、それは分からない。よって、少なくとも、自分の原理原則をおさえておく事で、最良であると信じる事ができるし、その面白さを感じる事もできる。

基準は何か?他人のヨットがどんな使われ方をしようが、他人が何と言おうが、こればかりは耳を貸さない方が良い。他人は自分の意見と、一般的な見方、それも自分の感情を含めた一般的な見方と称する意見を言う。でも、我々個人は、一般的でも、他人でも無く、自分であり、自分しか解らない。無視しろではありませんが、参考程度です。

実は、これが最も難しい。自分の事だから解りそうな感じですが、これが最も解らない。でも、冷静に、自分なりを考えてみれば、何を好み、何を好まないかは解って来る。細かい作業が好きな人、大雑把、大胆な人、好きな音楽、好きな映画、好きな本の種類、そういう事全てに共通点があると思います。きっとヨットにも、同じ共通点があるはずです。私はセーリングを薦めていますが、そういうセーリングの仕方が全ての方々に通じるはずがない事も知っています。そんな事は有り得ない。逆に、クルージングが全ての方々に合うはずもないし、レースもしかり。

多くのヨットが動いてい無い、使われてい無いという事実は、その自分の基準に合わないヨットを買ってしまった。或いは、自分の基準が解らないという事かもしれません。でも、それらは無駄では無く、合わないという事が解った。これからは、どういうのが自分の基準なのかを明確にして、そこさえ抑えておけば、あとはどうでも良い。

年に1回か2回かもしれないが、家族を乗せてクルージングに行くのが楽しみだという方もおられるかもしれません。ならば、そでもで良い。できれば、年に2回を3回にしてみれはどうでしょう。家族以外の人達をクルージングに連れて行くのは、どうでしょうか?基準が解れば、それを発展させる方法を考えれば良い。しかし、本当に好きな事なら、年に2回とか3回で済ませられる事自体、考えにくい事ではありますが。

あれもこれもと考えずに、これ一点、好きな乗り方、使い方は何か?それを見つける事が大事ではないでしょうか?誰からも邪魔されずに、キャビンで読書している時が最高なら、それをもっとできるようにしたら良いし、何でも良いかと思います。その目的に最も合うヨットはどんなヨットなのか?選択は簡単になります。最良の選択ができます。最良は、最高では無く、この場合はより良いです。条件的に、家の前においておきたいと思っても、それは無理がある。唯一できる選択は、できる中での最高です。 

個人的な事を言いますと、クルージングも悪くは無いが、私にとってはエキサイティングでは無い事が解りました。レースも悪くは無いが、どうしてもイラつく事もある。よって、どちらも良いがたまにで良い。そうこうしている時に、デイセーリングをしょっちゅうやる機会に恵まれ、そのセーリングの面白さにピンと来た。移動手段では無く、ヨットの動きに集中すると、その面白さにピンときたわけです。レースは相手との競争ですから、自分が最高の走りをしたとしても勝てるわけではありません。でも、レースは勝ち負けの勝負ですから、レース中の気分なんかどうでも良い事、勝つ事が気持ち良さになる。でも、セーリングは、プロセスの遊びですから、周りに惑わされる事が無い。

それで、デイセーリング。そういう時に、アメリカのアレリオンを発見。これだと思った次第です。ですから、選択は私とって簡単であります。セーリングの面白さが第一で、クルージングもレースも、無くても構わないし、どっちでも良い。たまに、ちょっとクルージングして、良い気分で、これも良いと思う事はあっても、そこに全面的に向かおうとは思わないわけです。たまにだから良いという程度。

それで、是非、デイセーリングを日本に紹介したいと思い、10年以上前からやってます。キャビンの狭さがなかなか理解していただけない。でも、最近は少しづつご理解を頂けるようになりました。
自分が気に入ると、誰もが気に入るとは勘違いですが、少なくとも、好きな方々は少なからずおられると思います。

さて、セーリングに限らず、何か一点を自分の原則として見つけていただきたいと思います。セーリングを通して、旅をしたいのか、レースをしたいのか、或いは、セーリングそのものか?これら以外にも使い方はありますが、少なくともヨットですから、この中の1点は主体にしないまでも、使えるようにはしたいと思います。チームで乗るのか、仲間か、家族か、それともシングルが原則なのか?
何がしたいのか、漠然としたアイデアをもっとつきつめて、具体的に何をしたいのかを考える。旅にあこがれるのなら、してみたら良い。そして、合えばもっと進めば良いし、私のように今一と思うなら、別な事にシフトしていけば良い。いずれにしろ、今、この瞬間には最良の選択になる思います。

デイセーラーを選択する時の迷いは、キャビンが狭いので、ゲストが大勢来たらどうするか?と考えます。それが迷いです。ゲストを迎えて、もてなすのが自分の原則なら、デイセーラーは合わない。でも、セーリングが原則で、ゲストを迎えるにしても、やれる範囲で工夫して、と思えるなら、デイセーラーが良い。全部を取るという事は全部を逃す事にもなりかねません。案外、原則を通じて、あらゆる他の場面においても、工夫しながら、楽しめるという事がわかる。そこには、普段から楽しんでいるオーナーが居る。普段楽しんでいないオーナーのヨットに乗っても、ゲストは楽しくは無いんです。どんなヨットに乗せてもらおうが、オーナーが楽しんで普段乗ってるヨットなら、それが豪華な、大きなキャビンでなかろうと、簡素のレーサーだろうと楽しいんです。ゲストはヨットの事は解らない。ヨットを楽しんでるのでは無く、オーナーを楽しんでいるんだと思います。

楽しんでいるオーナーは、楽しいオーラをかもし出す。操船においても、その雰囲気が感じられる。
ゲストは大きなキャビンだから乗りたいのでは無く、そういう楽しんでいるオーナーと一緒だから、自分も楽しめるのではないでしょうか?そうすると、ゲストはまた乗りたいと思います。大きなキャビンで、豪華で、それでまた乗りたいとは思わない。楽しんでいるオーナーを一緒に乗るのは、こっちも楽しくなります。それは何と無くでも、感じ取れるんです。

結局、人と人は、何をするか、セーリングするか、宴会するか、レースするかも大事かもしれませんが、人と人とでは、誰とするかの方がもっと大事なのです。その相手が、楽しんでい無いのなら、ゲストも楽しめるわけが無い。ですから、自分の原則をきちんと守って、自分が一番に楽しむ。それが最良の選択です。そして、それを分けてあげる事ができます。

そういう意味では、ヨットを選ぶ時、多くの方々が、自分の乗り方は別にしても、何人座れるかとか、そういう事を考えられます。心優しい事かもしれませんが、それは最良とは言えません。自分個人がまず楽しむには、何が必要か、利己的ではありますが、でも、そうやって楽しめる自分を創らないと、他人を、家族を楽しませてあげる事はできないと思います。自分が心から、楽しい、面白いと思わない事で、他人を楽しませてあげれるわけが無い。

オーナーがスプレーを嫌うから、ゲストも嫌うようになる。オーナーがスプレー浴びて、もし大笑いできたら、ゲストだってにこやかになる。全てはオーナー次第なのではないでしょうか?自分が最も楽しめる原則を得る事が、最良の選択が自動的に運ばれるのではないかと思います。

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