第十二話 偶然

以前から、偶然というものには一目置いていました。そこに何らかの意味を見つけたりしますと、映画のように大袈裟な表現をするなら、神の御技という事になるのでしょうが、そんなたいそうな事では無いにしろ、偶然に起こる何かには、人間の及ばない力がある。ある人は偶然を7割、人間の意思を3割と言われます。その3割りにしかならないものでも、そこに努力する事が大切だとか。

確かに、その通りなのでしょうが、どうもいまいち釈然としません。道徳的な感じが、どうもすっきりしない。努力さえすれば、偶然が味方してくれるのか?それもあるかもしれませんが、どうも釈然としません。それで、考えるのは、偶然を味方とか敵とか考えずに、そのまま偶然として、ハプニングとして、できるだけ面白がる事はできないか?

こうしたいと思って、いろいろやって、でも偶然が足を引っ張る事があります。でも、一歩はなれて眺めてみると、そこには流れがどうもあるようです。偶然がただのハプニングならば、ついてる時は何してもうまくいくなんて事は無いはず。でも、実際はそういう事があります。もちろん、その逆もある。不思議でありますね。人はその不思議な事を、つきとかで流してしまいますが、よく考えれば、それは不思議であります。何かは解りませんが、つきの流れがあるとしか思えません。

それで、その流れを観察してみようと思います。今している事にどっぷりつかると流れは解りませんが、ちょっと冷静に一歩下がって観察すると、何か解るかもしれません。今、ついてるな、という事が。そういう流れを観察しながら、面白がる事はできないか?ついてい無いと思えば、それはやめとこうとか、ついてるなと思えばやる。いつも流れを見る。

ところが、これは簡単では無い事に気付きます。何故なら、一生懸命にやってしまうからではないか?一生懸命が好きな人が多いので、つい一生懸命やってしまう。そうすると、している行為にどっぷりつかってしまうので、回りが見えなくなってしまう。すると流れも見えない。ついてるかどうかも解らない。一生懸命やりつつも、少しは覚めたクールさが必要かもしれません。それは、いつも言ってます、自分の感覚を意識する事で、解るのではないか?

セーリングしながら、同時に自分の感覚を意識するという事を覚えました。それと同じように、常日頃から、何かをしている時にも自分の感覚を意識しています。いつもではありませんが?そうしますと、偶然の何かが出た時に、感覚的に違和感を覚えたりする事があります。理由はありません。
でも、それが、何らかの流れに関係しているのではないかという気がしています。

現代は科学の時代です。ですから、あまり変な事を言いますと、いろいろ疑われますが、それでも、科学的ではないことを気にする人は実に多い。ジンクスなんかもそうですね。ご縁がありますようにとか、お正月にはお参りに行ったり、厄年だとかでおはらいに行ったり、とっても科学的では無いです。それは何らかの偶然と言いますか、何かが科学では解っていないが、何かがあると感じているからではないかと思います。ならば、非科学的と一蹴しないで、それをどう解釈するかを考えてみる。もちろん、考えても解らない。けれども、自分勝手に解釈してしまえば良いのではないかと思います。

あるトラブルが発生しますと、次々に他の場所でもトラブルが出たりします。逆に、良い事も重なる事が良くあります。仕事していますと、そういう事を良く感じます。急に忙しくなったりして、もっとばらけてくれると良いのにとか思います。トラブル発生時には、慌てふためくと、なかなか処理が終わらない。悪化させることもある。でも、冷静にひとつづつ片付けていきますと、潮が引くようにスーっとみんな解決していく事がある。これは偶然だろうか?ここには何かがあるような気がしてなりません。そうは言っても何が何だか解らない。

それで、何かを意図して行動を起こす。できる限りの事はします。そして、後は、偶然に何が起こるかを見ます。そして、全体の流れを面白がる事ができるようになったら、良いような?何が何でも夢を持って達成しようという努力も良いかもしれません。しかし、人生80年。全ては最後にさようならですから、何かを達成する事を楽しむのも良いかもしれませんが、人生そのものを映画を楽しむように、できないか?それができれば、もう自由です。何が起こってもゲームです。人生はゲームと言う人が居ますが、賛成です。但し、ゲームとして本当に楽しむ事ができるかどうか?それができれば、どんな人生だって、面白くする事はできるのかもしれません。お金を経験に代えて、ゲームを楽しむ。自由自在に。でも、実は、それがなかなかできません。偶然に期待して、こうなれ、ああなれと思ってしまう。だから、いつまで経っても、悩みは尽きないです。

それは兎も角、せっかくヨットにご縁があったわけですから、そのヨットでどんな経験をするか?したいか?ヨットを出せば、いろんな事があります。その何かをポイント的に見ますと、良いとか悪いとかになるわけですが、もっと長いスパンで見ますと、それをトータルの経験として、楽しむ事ができるのではないかと思います。そう願いたいわけです。偶然がもたらす何かを面白がる事ができれば、最高かなと思います。やっぱり、何も解っていませんが。偶然に起きた事をどう解釈するか?
起きてしまった事は仕方無いのですから。後は、勝手に解釈して、どれほど面白がる事ができるかにかかっているような?自分にとって都合が良い時は誰でも楽しめますが、その逆の時はそうはいきません。そういう時にこそ真価が問われる。価値がある。誰もできないから。でも、できれば、これほど自由自在は無いような?スプレー浴びても、平気になれる。強風の恐怖も平気にはなれないにしても、冷静に見れるかも?まあ、たわごとです。

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