第十八話 フェラーリ

最近、聞いたところによりますとフェラーリが売れているそうです。ポルシェでも無く、フェラーリ。アメリカ市場についで二番目だそうです。価格は2500万から3500万ぐらいしますね。この不況もなんのその。ある人の話によりますと、再販価格が高いから?それならヨットの方がもっと有利です。

こだわりの世界なんでしょうね。何でも良いわけじゃない。最近の若者は車離れが多いそうです。昔は18歳になればすぐに免許取りにいくのが、いわば常識的でもあったのが、最近ではそうでも無いらしい。就職したら、生活を切り詰めてでも、車を買って、という若者が多かった。最近は、デートは車無しでも構わないらしい。

車もついに、生活必需品、そうなると単に足になる。燃費優先、価格優先、そういう事かもしれません。足にさえなればどうでも良いわけです。ところが、一方ではこだわりにこだわる人達も居る。その格差は大きくなっているのかもしれません。どうでも良い、単なる乗れれば良いという人達とこだわり派です。

現代の若者は生まれた時から物質的に恵まれていましたから、物に対する執着心というものが少ないのかもしれません。楽なら良い、何でも良い、面倒は嫌、そんな話も聞こえてきます。それじゃヨットなんか乗れませんね。一方で、同じ若者が大活躍もしている。ここも格差が見えてきます。

良いのか、悪いのか?まあ、そのうち答えが見えてくるでしょうが、これが世の流れですから、それなりに新しい社会が形成されていく事になります。経済格差のみならず、いろんな部分で格差があるようです。やる気のある人、無い人、こだわる人、何でも良い人、中間が少なくなったのかもしれません。中間に居た人達が、どっちかに移動したのかもしれません。

フェラーリなんかは、こだわりの象徴のようなものです。誰でも、どこかにこだわりを持つ。それは物である場合もあるし、何か違う生き方かもしれません。それが個性とも言えます。個性が強い人、あまり強く無い人、そういう格差もあるのかもしれません。という事は、個性ある人がますます強調されますね。個性を発揮するのは面白い。

こだわりを持つのは、自分の面白さの追及ですから、面白いはずです。多少難儀はあっても、それでも自分のこだわりを優先する。それ無しでは面白く無いと思うからでしょう。ヨットにも、少しづつですが、個性が見られます。昔のように、買い換える時はもっと大きいサイズにというのが常識でしたが、最近では必ずしもそうではありません。この事は、ヨットが横に広がっているとは言い難いのですが、浸透度は深まってきているのではないかと思います。

ヨットはあくまでプライベート、遊び、自分の個性で乗った方が面白いに決まってますし、他と同じなら安心という時を過ぎてきているのでしょうか?もし、そうなら、これからは実に面白くなりそうです。どこのマリーナに行っても、同じようなヨットばかりでは無く、いろんなヨットが増えてくると期待しています。すると、回りの見ている人達も刺激されますね。こんなヨットでも良いんだ。

車離れが進んでいるなら、これからは車の免許は持たないが、ボート免許は持ってる。それがちょっとカッコ良さを感じたり、そんな時代が来ないかな?そして、小さなヨットでもこだわる。そうやって、いろんなヨットで、自分の個性で遊ぶ時代が来ないかな?協調性抜群の日本人でも、遊びには個性豊かに。たった二人しか乗れないフェラーリに、2500万も払う。それが高いか安いかは他人がどうこう言うべきものでは無いが、自分のこだわりが満足で、楽しくて、面白くて、カッコ良くて、こだわってるところがまた自慢でもあって。何ができるという自慢もありますが、これしかできないという自慢もあるわけです。そのこれが抜群に満足感を与えてくれる。フェラーリに何でも求める人は居ませんね。ある一点のずば抜けた何かに、満足感を感じる。 何でも平均点よりは、ここ一点に100点の方が面白い。案外、面白い時代になりつつあるのかもしれません。

こだわりは理屈ではありませんから、感性が強調される。感じる時代とも言える。感じる人と感じない人。その格差は一体どうなるのか?きっと人生の楽しみ方をどう見るか?やっと個性が見直される時代にきた。皮肉な事に、個性的でない人も多くなる。否、当然な流れでしょうね。みんな個性的になったら、個性的では無い。

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