第五十一話 豊かさの象徴

ヨットは豊かさの象徴として扱われます。そして、さらに、そのヨットのサイズ、キャビンもまたその豊かさを演出する。キャビンの広さ、豪華さこそが、豊かさの象徴であります。ですから、ヨットが豊かさの象徴である限り、サイズは大きい方が良いし、キャビンも大きい方が良い。

しかし、豊かである事とはどういう事なのか?でっかいヨットに豪華なキャビンであれば、それで豊かさを満喫できたのであろうか?それで、さらにサイズを大きくし、もっと豪華に、カスタムで造り、スーパーヨットにまで及ぶ。

しかしながら、物による豊かさには限りがあります。どんなに大きくて、どんなに豪華であっても、それが一旦手に入れば、三日もすれば、その気持ちは薄らぐ。美人も三日も見れば、なんて言われます。考えてみれば、その大きなヨットを動かすのに、たくさんのクルーを雇い、複雑な装備をメインテナンスする。いつも、どこかに不具合が出たり。クルーを雇うのだって、会社で社員を雇うのと同じ様に気を使うものであります。

ところが、ここで違う様相が出てきました。何人かのビッグボートのオーナー達、クルーやメインテナンスに飽き飽きしてきた。もっと気楽に遊べないのか?もっと自由は無いのか?そこで、サイズをぐっと小さくして、自分ひとりでも楽にセーリングが楽しめる方向へと向かう。思い切った転換です。そして、やってみると、何と清清しい事か。クルーの心配も要らないし、かつてのように専属のメインテナンスを常駐させなくても、何も心配が要らない。それでいて、自由に、スイスイとセーリングができる喜び。何も遠くへ行く必要も無い。セーリングを、海を楽しむのに、何もかつてのような事をしなくても良かった。ここに、物の豊かさから、心の豊かさへと気づいた人達が出てくる。

豪華なヨットで、何人もクルーを従えて走るヨット。一方、クルー無しで、自分だけのセーリング。どっちが豊かなのか?これが現在のデイセーラーに大きく影響を与えていく事になります。物の豊かさは、他人が見ても解るが、小さなデイセーラーでは、その豊かさは自分にしか解らないかもしれません。でも、豊かさが心で感じられる時、これは物で計るものでは無かった。

小さいけれど、滑らかな走り、かつてビッグボートでは味わえなった感覚です。自由で気軽で、いつでも陸にバイバイできた。そんなスタイルが、何とも魅力的に映った。豊かさは、見えるものから、目には見えないものにシフトしてきています。

話は変わりますが、スターバックスのコーヒーはあまりおいしいとは思えません。失礼ながら、個人的な好みですから。でも、世界中に広がった。何故でしょうか?多分、その場所、空間を与えている。その空間の魅力ではないかと思います。今日、アイスコーヒーとサンドイッチを買って食べてみた。アイスコーヒーはまあまあでしたが、サンドイッチはうまいとは思わなかった。でも、店内は人でいっぱいです。田舎の道路沿いにある一軒のコーヒーショップ。ある雰囲気の空間を提供しています。それが豊かさの一種なのかもしれません。これで、コーヒーがうまかったら最高なのですが。

まあ、それはそれとして、豊かさはフィーリングです。空気から来るフィーリングも豊かさが必要なのかもしれません。美しさもそのひとつ、空間、かもし出す雰囲気、走った感じ、それらが豊かさを与えてくれるのか?

物の豊かさ、豪華さとは別に、もうひとつ、見えない豊かさが人々を魅了してきた。ヨットも、あれば良いわけでも無く、大きければ良いわけでも無く、心に響く何とは無しでも、豊かさ感触、良い雰囲気、良い感じが求められていくのではないか?美しいヨットは人を豊かにしてくれる。でも、それだけでは不十分で、乗って、走って、そこからも豊かさがほしい。

田舎のマリーナ、スターバックスでも誘致すれば、それだけでも雰囲気は変わる。人が集まるかもしれません。何か特別な事があるわけでも無く、良い雰囲気のマリーナはある種の魅力があります。人は心の豊かさを求める。まずは、より大きなヨット、より広いキャビン、より豪華なヨット。でも、そろそろ、変化も見られる。

見て美しさを感じる。聴いて美しさを感じる。触って美しさを感じる。味わって美しさを感じる。良い香りをかぐ。五感ですが、そこにもうひとつ、行動して、体験して、自分が能動的に動いた中から、
五感の全てから総合的に感じられるフィーリング。そこに新しい豊かさを求める?実は、これは誰でもできる事でありながら、多くはしない。絵画を見て、美しいと感じ、じゃあ、自分でも描いてみようかと思う事。音楽でもしかり。見る、聴くとは大きな違いです。

ヨットは乗るのが第一の理由ですが、でも、どうもその手前の鑑賞的な事に留まる事が多い。一歩踏み出していけば、そこには別次元の豊かさがあると思います。それにはカジュアルセーリングが最も効果的かと思う次第です。

カジュアルセーリングは物の豊かさから、フィーリングの豊かさへのシフト、フィーリングを大事にする為に物がある。とか何とか理屈をこねくりましわしてしまいましたが、要は、気軽に乗って遊べば、機会は多くなるし、いろんな事があって、面白い。それだけであります。機会が多いと、それだけで、いろいろ遊べるんですね。良い事も悪い事も、全部まとめて遊んでしまう。チャンスは多い方が良い。それだけであります。で、結局、その方が豊かさを感じたりして。

しかし、実際乗りますと、豊かさとかそんな事は言ってられませんよね。豊かさは乗らない時の象徴であります。反面、豊かさは、生きている間にどれだけ多くを感じ、良いと悪いを分類せずに、そのままを受け入れる事によって、一段と高い感性を持つか?多くの経験を持つだけとも違うような気がします。

ヨットは豊かさの象徴のひとつです。豊かでなければ、ヨットなんて所有できません。ヨット持ってる人なんて、この日本ではそう多くは無い。そしてもっと豊かになるには、それを使って、目に見えない特別のフィーリングを得る事ではないでしょうか?何を持っているか、から、いかにするか、いかに行くか、いかに走るか、このいかにという部分に見えない豊かさが潜んでいるような気がします。
このいかにこそが幸福をもたらす源泉かもしません。

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