第五十三話 セーリングを極める

女子供を気にしなくなった途端、おとこが目覚める。目覚めたら、やる事はセーリングを極めるです。そう思う事です。そう思いましょう。それは唯一の男の遊びです。海に女は要らぬ?まあ、それは兎も角として、デイセーリングでセーリングを極めましょう。

自然はワイルドです。ならば、こっちもワイルドにならなければなりません。理論と実践で練習しつつも、最後は野生の感で対応する。野生の感は、すぐには養われないので、それまではじっくり、理論の勉強をして、実践でその感を養う。最後はこの感でありますね。

どうせやるなら、極めるつもりで、どんどん追求していきます。マニアックだろうが、何だろうが、どんどん進む。頭ではじめて、体が覚えて、野生の感で乗りこなす。できるできないの問題では無く、そう決めるのです。

決めたからには、暇さえあればマリーナに行って、ちょこっとでも出す。理屈からはじめましょう。こういう風の時は、ドラフトを深く、浅く、バックステーは?ハリヤードテンションは?ヒール角度はどうだ?風をどうやって逃がす?ひとつひとつ、理論を実践に変えましょう。楽しいか?そんな事を言ってる場合じゃない。極めるのですから。来る日も来る日もセーリングです。

で、ある日気がついたら、いろんな実践を伴った知識が増え、腕も上がっている事に気づく。そして、何より、野生の感が働く事にも気づく。ちょっとの変化さえも、感じられる事の喜び。これは大きな事です。

でっかいヨットのでっかいキャビンで、おんなをはべらす。これも良いかもしれない。でも、別な男の世界としては、自由自在にヨットを乗りこなす事もある。自由自在、想像するだけでも、これは面白そうです。

自分のヨットで、どのぐらいの風で、どの程度で走るのか、いつリーフはしたら良いのか、タッキングもジャイブのスムースで、無駄が無い。微妙な舵とりだって簡単。それこそ一体となってます。
自分の感覚が、ヨット全体にいきわたっている。そんな感じになれないか?それでも、自然は予想を超える。それだからこそ面白い。

極めるのは難しい、極めても何の得も無い。誰も賞賛もしない。プロになるわけでも無い。でも、何か特別な何かが自分の中につみ上がったような気になるのではないでしょうか?大きな自信のような。それが何よりの財産です。何たって、気持ちが良い。それが何よりではないでしょうか?
考えてみれば、地上で立って歩く、走るなんて事は自由自在にやってるわけですが、その他にもうひとつ、別な世界で自由自在を経験するわけです。つまり、ひとつ多くの世界を手に入れた。人間に寿命はだいたいいみんな同じですが、ふたつの世界を手に入れた人は多くは無い。

それで、お前は極めたのかって?いいえ、全く。でもいつかは、そうありたいと思っています、その路線で乗るのが面白いと思っています。その道が、最も魅力的に思えるわけです。極めた時点が面白いかどうかでは無く、その道に進む過程が面白い。極める事が重要では無く、極めようと思う事なのではないかと思います。

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