第六話 休日

休日が年間何日あるかご存知でしょうか?土日と祝日を合計しますと120日間、それに加えて、年末年始とお盆休み、人によっては休暇もあるでしょうから、年間合計はかなりの休みがあります。考えて見れば、年間の3分の1に相当し、3日に1日は休みなのです。昔はこんなに休みはありませんでした。働いて、働いての毎日だったと思います。しかし、そのお陰で今日では、非常に効率が良くなったのか、休みがこんなに多い、それに暮らしぶりも昔よりは良くなっています。もちろん、こんなに休んでいないという方も多いと思いますが、少なくとも確実に休みは多くなっています。

こんなに休んで何をするのか?こういう状況ですから、これらの休みをいかに過ごすかは年間の3分の1をいかに過ごすかになります。いかに効率良く仕事をして、結果を上げていくかは、みんなが考えるところですが、休みがこんなにあるんじゃ、休みをどんな風に過ごすかを考えるのも重要になってきます。何しろ、人生の3分の1を占めるわけですから。いやいや、引退後の事を考えますと、3分の1どころか、もっとですね。

多くの人達はたいしてする事が無い。家でゴロゴロ?かみさんに付き合ってお買い物?家族サービス?これはこれで必要な事ではありますが、こんなに休みがあるわけですから、毎週土曜は自分の趣味の日にあてるとか、そういう事を考えてもバチは当たらなさそうです。

週一セーリングをしますと、月に4回、年間48回。オフシーズンがありますので、そこまでは行きませんが、でも、毎週毎週セーリングに出ますと、あまり長い間が開きませんので、習慣的にもなり、随分馴染んでいく事になると思います。そういう生活リズムが出来てきます。祝日も多いですから、乗れなかった日の代替とか、オフシーズンの分の代替とか。そういう事も可能でしょう。

そういうリズムで一年を通し、また数年を通しますと、これはもうかなりんもんですね。初心者の方でもあっという間にベテランの仲間入りです。たくさんの知識が増え、経験も積み重なり、自分のスタイルができ、人生にもうひとつ自分独自の世界を得た感じになると思います。継続は力なりと言いますが、まさしく、何か大きな力を得た感じなのではないでしょうか?それは単純に享楽的な遊びでは無く、知識を要し、緊張を要し、集中を要し、そして考える、工夫をも要します。そんな世界ですから、充実感満載になるのではないかと思います。

そういう世界は容易ではありません。しかも、それを1年間通す事も大変でしょうし、まして何年も続ける事は、遊びとは言え、容易では無い。だからこそ、乗りやすい状況を作る事が必要になってきます。遊ぶのも楽じゃない。でも、楽ばかりだと充実感も湧いてこない。

はっきり言って、セーリングは楽しい事ばかりではありませんね。辛い時もある。何で休みの日にこんな事してるんだろうと思う事もあるかもしれません。でも、ある人が言ってました。たまに、セーリングの向こう側に、何かしらキラリと光るものがある。夢中になってセーリングしていて、いろんな事があるが、そのキラリと光る何かを感じた時は、有り得ないぐらいの感動を得られる事がある。

まあ、多分、セーリング以外の何をやっても、楽ばかりでは無く、いろんな事がある。それも好きだから続けられるし、続けていけば、きっとその先には何かキラリと光るものがあるのだろうと思います。そのキラリと光るものを、何の手段でやるかの違いなのかもしれません。それで、みんな自分の思う好きな事でやる事になります。つまりは、何をするにも、そこまでやるかどうか?何もたいそうな事では無く、すきな事に集中して、長く続ける事でえられるものなのだろうと思います。その光るものは何か?多分、技術的にどうこうでは無く、自分の感じのレベル、ひとつ上の感性みたいなものが磨かれた結果で、感じられる何か?

休日をそんな何か、ロマンを秘めた何か、で埋めるのもなかなか良いのではないでしょうか?かなり素敵な人生かと思いますね。楽しいだけの人生は有り得ないでしょうが、トータルで面白かったと言える人生はあるのではないでしょうか。何しろ、得ている感じが違えば、人生への感じ方も変わるのではないでしょうか。人生がつまらないのは、感じ方が足らないからかもしれません。感じ方に偏りがあるのかもしれません。良いと悪いとの間にある無数の感じを、できるだけ多く味わう事が、充実感に繋がるのかもしれません。生きる事は感じる事。何も感じなくなったら、終わりです。

理屈では無く、感じる事が全てかもしれません。目的は同じでも、何を通じてそこに達するかの違いなのかもしれません。野球でもテニスでも、セーリングでも良い。或いは、動的なものでは無くても、絵画や陶芸などでも同じかもしれません。それぞれにおいて、やれば上達していき、結果、何かの域に達する。何も極めるとかいう意味では無く、感性がある域に達するのではないか?つまり、感じる事が違ってくるのではないかと思うのですが?実際はまだ解りませんが。そうなりますと、上手くなっているはずですが、うまいかどうかは問題では無くなるかもしれません。ただ、楽しい。
感性が進化しますと、良い悪いでは無く、いろんな感じを、そのままに楽しめるようになるのかな?

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