第五十二話 いかに面白くするか?

良い風が吹いてくれば、ヨット乗りなら誰もが面白いのは当然の事、ヨット乗りで無くても、その快走は爽快であります。ところが、本当に良い風は、そう都合良く吹いてくるわけではありません。本当に条件が揃うなんて事は、そうそうは無いわけです。

誰もが、こうなれば、ああなればと都合の良い事を求めるわけですが、そんな事は多くは無いわけですから、いかに今の状態で楽しむかが大きなポイントにもなろうかと思います。良い条件はラッキーですが、そうでも無い時にこそ、いかに楽しめるか?誰もが、これができない。ある意味、達人の世界であります。

軽風の時、微風の時、波が高い時、強風の時、暑い時、寒い時、いろんな時があるわけで、それをひとつでも何とか楽しめる方法を見出せれば、それはひとつヨット乗りとしての達人の域に近づく事になる。達人は良い時ばかりを探し求めるのでは無く、今日の今の風を楽しむ事ができる。

微風はちょっと難しいセーリングです。走らないし、それでも、何とかしようと楽しむ事ができるか?
強風は、いかに風を逃がしながらでも、思うコースを走る。飛沫を浴びても、それを楽しみ、雨が降って、雷鳴ったら、急いで逃げるも、それを心のどこかで楽しむ。大時化になって、出せない日には、整備をして、片付けしながらも、想像を巡らす。

良い時ばかりを求めるのは当たり前なのですが、それだけを求めすぎると、乗れる時は少なくなってしまいます。そして、楽しむ時も少なくなってしまう。良い時ばかりを求めると、そうで無い時にがっかりしてしまう。良い時を楽しめるのは当たり前で、誰でもできる事ですが、そうでは無い時にいかに楽しむ事ができるかが達人のレベルではないでしょうか?

達人になるのは簡単では無いかもしれませんが、少しでも、1歩でも進むとそれだけ楽しさが増える事になります。ですから、そっちの方が良いわけです。今吹いている風を、いかに楽しむかを考えてみてはどうでしょう?たまには、微風にエンジンをかけるのでは無く、微風セーリングにトライするとか、或いは、違う何か?こういう時はランチを楽しむとか、漂うのを楽しむとか?多分、考えるというより、考えない方が良いのかもしれません。

いろんな状況があり、いろんな状況を受け入れる事ができたら、悪い事は無くなる?少なくとも、嫌だとは感じなくなる。でも、いろんな状況がある事は解っていても、受け入れられないから、今日は吹かなくてつまらないとか思ってしまう。どうせ乗るなら、少なくともつまらないとは思いたくありません。

先日は無風時がちょっとあったのですが、ラダーリングしてみました。小さなヨットならこれでも進む。そうすべきでは無く、そのまま漂う感じを味わうでも良い。兎に角、その時、その時を楽しむ方向に気持ちを持っていくことではないかと思います。自然にそれができるようになれば良いなと思います。いかに面白がるか、楽しんだ人の勝ちであります。

最近良く思うのですが、我々は飛沫を浴びれば、避ける為にドジャーをと思います。これはこれで正解ではありますが、もし、今無いのなら、飛沫に嫌な思いを巡らせずに、何とか面白がる事はできないか?です。そう思ってくると、少なくとも夏は濡れても良い、それもまた面白さのひとつかもしれないと思えてきます。冬には辛いかもしれませんが、トータルして、ドジャーをつけるべきか否か?インスタント的な反応で、飛沫を浴びれば即ドジャーというのも、どうでしょうか?ここに正解はありません。考え方次第ですね。

その考え方をどうするかで、ヨットはつまらなくもなり、面白くもなる。ヨットが面白いかつまらないかでは無く、自分の中のどういう気持ちを引き出せるかが、本当は面白さなのかもしれません。行動は自分の中の気持ちを引き出す手段になります。良い場面が良い気持ちを引き出すのは当たり前ですが、そうで無い時にどんな気持ちを引き出せるかが、達人のレベルになっていく?楽しめる人は達人ですし、幸福です。それもヨット、あれもヨット。

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