第六十話 クルージング艇の功と罪

クルージング艇の進化は、大きなキャビンと便利さの追求であります。その事によって、クルージングという旅をするには非常に楽に、快適になりました。別荘がそのまま移動もできるというようなものです。これは、それを求める方々にとって、非常に良くなったと言えます。

最新ヨットの装備を見ればあきらかです。エアコンまで搭載するようなヨットは、快適そのものです。昔のクルージングとはわけが違う。GPS、オートパイロット、スプレー避けのドジャー、直射日光を避けるビミニトップ、キャビンに入れば、充実装備のギャレー、バスタブこそ無いものの、温水でのシャワー、テレビあり、ビデオあり、ステレオあり、電話あり。家ごと移動できるのですから、快適な旅を実現できるようになりました。

しかし、一方で、セーリング離れが徐々に浸透していったのではないかと思います。これは考え方の違いで、良い悪いの問題ではないかもしれませんが、そういうヨットでは、よりセーリングにおけるフィーリングというのは質が異なってきた。それに我々は気がつきません。セールがあるからセーリングはできる。でも、質は違う事に気がつかない内に、徐々に変化してきた。重い荷物を背負ったヨットでは、セーリングの質は違うものです。それを敢えて、罪と言います。同時に功でもあるわけですが。見方の違いです。

そういうヨットに慣れてきました。セーリング離れがおきてきた。つまりは、ヨットに乗る時、どこかに行く旅的な要素が無い限り動かないことになる。セーリングを遊びに行こうという感覚が無くなる。
そこでゲストが招待されます。そのゲストは広いキャビンに驚く。感激すらするかもしれません。でも、そのゲストも旅に出る事を楽しまない限り、最初の驚きはそう長続きはしない。セーリングもこんなもんかという事になりかねない。それが、以前にも書きました、ヨットてのは、何が面白いのか?という疑問に変わる。何もゲストの為にヨットを買うわけではありませんから、それはそれで構わない。

海外でも同じ状況があります。動かないヨットです。でも彼らの違うところは、キャビンを有効活用している。住まう者あり、住まなくても、家族で過ごしたり、奥さんがヨットの中で編み物している光景を見た事もあります。この点は日本人スタイルとは違う。

まあ、それは兎も角、クルージング艇はセーリング離れを助長してきたのかもしれません。いつの間にか、知らないうちに。便利は良い事だし、広いキャビンも快適です。しかし、それらが、一方ではセーリング離れを助長してきた。セーリングに必要なバングやバックステーアジャスターやいろんな装備はあっても使わなくなってきた。この事は、いかにセーリングするかを考えなくなってきたという事になります。セーリングはいかにを考え、操作をし、その反応を感じるところにある。ああでもない、こうでも無いとやる所に面白さがある。そういう面白さから離れてきて、それが普通だと思ってきた。ある意味では罪なのです。

しかし、一方で、その罪は快適な旅をもたらしましたし、また、デイセーラーを生み出した要因にもなっているのかもしれません。そういう意味では功なのであります。

今日のクルージングヨットは旅を助長する。その旅はセーリングではありません。従って、旅とセーリングの違いがより明確になってきたとも言える。それは考えようにっては良い事なのです。昔はみんなセーリングをしてきた。クルーが必要なのはセーリングする為であります。そして、今クルーが必要なのは、出入港の為であります。ですから、クルーはひとり確保できれば良い。それは昨今のクルー不足の反映なのかもしれません。

旅を促すクルージングヨット。元々クルージングヨットというのは旅を意味する。しかしながら、旅にいけない事情を持つ方々は多い。そこで、近場のデイセーリングが主となる。デイセーリングが主になるなら、デイセーラーの方がセーリングは面白い。旅に行けるようになったら、クルージング艇に買い換えれば良い。そして、旅を堪能して、もういいかな、と思ったら、再びデイセーラーに戻って、気楽に高い帆走性能を遊ぶ事ができる。

確かに、そう割り切る事のできる人は少ない。どうしても、キャビンはもっとほしい。誰かが来た時の為に、自分がゆったり寛ぐ為に。でも、セーリングが面白いと感じたら、そのセーリングを犠牲にはしたくなくなる。

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