第六十三話 ふたつの世界

物理の世界と感じる世界。見える世界と見えない世界とも言えます。そして我々は物理の世界に生きながら、感じる世界を求めている。物理の世界では、いろいろな行為をするし、考えるし、工夫もする。そして、それらは全て、フィーリングの世界でGOODを味わいたいと願っています。最終目的はGOOD FEELINGという事になる。どんなに成功を収めても、GOODを感じなければ、意味が無い。

そのGOOD FEELINGの為に、我々は何らかの行動を取ろうとします。ヨットに乗るとそれが得られるかもしれない。速くセーリングができたら、味わえるかもしれない。つまり、物理の世界は感じる世界の為の手段という事になります。

そして、実際、絶妙なバランスを取りながら、スピードを感じますと、それが快になる。頭でいろいろ考えて、実行し、セーリングが解ってくると、それが面白さに変わる。我々は常に、このふたつの世界を往来しています。そして、何度も何度も往来しながら、少しづつその行動とフィーリングに変化が出てくる。

より速く走る為に、より良く走る為に、もう少し引いて、或いは出して、それが深くなる度に微妙になる。物理の世界でどんどん進んで行きます。それが、感じる世界で、それ呼応するフィーリングをもたらしてくれるからです。でも、進んでも、進んでも、フィーリングは一瞬で終わる事にも気づく。そうしたら、その先はどうなるのか?物理の世界はいつもGOODとは限らず、その逆も必ず出てくる。

多分、何も考えず、何も工夫せず、ただ、無心にセーリングをするのみ。そうしたら、どんな感じを得られるのか?ただ、快のみを得ようとかも考えず、ただ、無心にセーリングする事で、どんなフィーリングがやってくるのかに興味が湧いてくる。そんな想像をします。ひょっとしたら、それが最高の何かをもたらしてくれるんではないか?否、最高の何かでは無く、何でも最高になるという受け留め方なのではないかとも想像します。そうなるには、多分、物理の世界で、ひとしきりセーリングしないと、そういう境地にはなれないのかもしれません。いろいろやって、経験して、その挙句、フィーリングに対する受け留め方が変わってくるのではないかと思います。

あくまで想像ですが、そういう最も進化したフィーリングの受け留め方を得ると、ただ素直に、セーリングを楽しめるのかもしれません。風が吹こうが吹くまいが、波があろうが、無かろうが、ただ、その時のセーリングを楽しめるようになるのかもしれません。

そして、もしそうなったら、物理の世界からフィーリングの世界へ入るのでは無く、逆で、フィーリングの世界から入って、物理の世界を動かす。フィーリングにおいては、ただ何でも素直に受け入れる用意ができてる。そうなると、物理の世界は完全にゲームとして遊ぶ事ができるようになるのではないでしょうか?物理の世界で、良い走りになると、それを楽しみ、うまくいかないでも、それを楽しむ事ができる。うまくいかない事をどう変化させようかというのも、ゲームとして楽しむ事ができる。もし、そうなら、全てを楽しむ事ができる。

これは感じる心が高度に進化した状態なのかもしれません。過去に何でもかんでもトライして、最後に到達する境地なのかもしれません。そう言えば、アレリオンの造船所から聞いた話、アレリオンのオーナーの多くは、かつてビッグボートを乗り回し、あっちこっちに旅をし、レースをし、そういう人達が次に選んだのがアレリオンだそうです。気軽にシングルでも走れるというのもあるでしょうが、何となく、解るような気がします。素直にセーリングを味わう。余裕の気持ちを持って。それがどんな快をもたらすか。どんなでも快なのです。

物理の世界から入ると、快と不快が必ずあるわけですが、フィーリングの世界から入ると、全てが快になる。多分?今日のセーリングはどんなかな〜、と思ってセーリングを楽しめる。どんなでも良いわけです。だから全てが快になる。全てがゲームになる。あくまで想像ですけど。

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