第八十一話 独り言的、戯言

欧米に追いつけ、追い越せとばかりに必死に働いて築いてきた日本という社会、既にGDPは世界第二位になった。アメリカも昔のような国力は無い。先進国の仲間入りを果たすと、この先どんなモデルがあるのか?目指すべきモデルを失った今、どうして良いか解らない。そこに、新しいモデルを造るのが政治の役目、ヨーロッパでも無く、アメリカでも無く、日本独自の目指すべきモデルを設定する必要がある。

日本社会が欧米化してきたとは言え、長い日本の歴史が積み重なったDNAを持つ日本人ですから、日本らしいモデルを造る必要がある。これからは、欧米を目指すのでは無く、日本の新しいモデルを目指す。

一旦、そのモデルが明確になると、日本人は結束しやすい。またまた、発展の道に一致強力して、力強い進化を遂げるだろう。終身雇用が駄目と言われ、実力主義に変わったきたものの、これもうまく行かなそう。他に何があるのか?そこが政治の役目。

ヨット社会も同じで、元々ヨット社会が日本には無かったわけですから、欧米流に従った。しかし、当たり前ですが、日本人のDNAからして、欧米流は合わない。この何十年間で、そういう事が解った。ならば、ここにも日本人流のモデルが必要なようです。

まず、遊びに対する意識。昔とは随分変わってきたものの、まだまだ日本人の意識の中には、遊びに対する後ろめたさが残っている。遊びはどこにでも、いつの時代でも必要な物。それは解っています。ですが、どんな遊びでも許されるわけではない。こんな不況の時に、ヨットで遊んでて良いのか?こんな贅沢して良いのか?やるにしても、こっそりと。そんな雰囲気がある。でも、やれる人がやる分には、他人がどうこう言う必要は無いはず。みんなが遠慮してしまうと、ますますデフレが進行してしまう。

これは、誰かが、何らかの理屈を作り上げたとしても、即座に変わるものではありませんが、徐々に変化するきっかけにはなるかもしれない。今の経済は資本主義では当然の帰結ですが、富の偏りにある。世の中にお金が無くなったわけでは無い。富の偏りは、当然ながらデフレを引き起こす。大衆にお金が無くなったら、消費されないのは当然である。そこで、経済はローンというシステムを考え出した。それでまた経済は回るのだが、それも将来の不安の前には、低迷せざるを得無い。次のステップは何か?と考えれば、偏った富が消費に回る事である。莫大な富が消費に回れば、みんなに回り、経済は復活できる。ところが、少人数が支配する富となりますと、消費に回ってもしれたもの。そこが問題であります。

一人の人間が、どれだけ消費しても、限界がある。ところが、遊びという点においては、これはとてつも無く大きくなる可能性がある。お金を消費に回すとしたら、その効果の大きさを考えれば、投資かまたは遊びです。そのふたつのうち、遊びの方を受け持っているのが、我々であります。ヨットがいかに面白いか、面白さは人生を充実させる。いくらお金持ちでも、80年も経てば、全てを失うわけですから、その80年という限られた時間をいかに充実させるかは、いかに生きるかにかかっています。そのいかには、面白さにかかっている。

人は面白ければ、何でもする。仕事が面白ければ、一生懸命働くだろうし、趣味でも、遊びでも、いろんな事があります。生きていく為に仕方無くしなければならない事もありますが、それ以外は面白さが必要になる。第一は生きていく事、生きていけるようになると、充実感がほしくなる。それは面白さに他ならない。

ですから、ヨットがいかに面白いかを説く必要があります。それはひいては経済を助ける事になる。世界を助ける事になる。豪華客船で世界を回る。スーパーヨットを買う。別荘を世界中に持つ。自家用ジェット機を買う。プール付きのでっかい家を買って、メイドを何人も雇う。子供は世界一流の学校に通わせる。

株投資や為替の投資では、世界を翻弄するだけです。事業に投資し、新しい価値を生み出すなら、世界を救う。これらは、みんなゲームであります。面白いゲーム。わくわくするゲーム。いくらたくさんのお金があっても、幸福にはならない。そのたくさんのお金で、面白いゲームをする。働くのも、面白いゲームだから、遊ぶのも面白いゲームだから。

そこで、私はヨットゲームをしませんか、と説きます。でっかい家で、でかいソファーにふんぞり返るのも良いかもしれない。しかし、海に出て、セーリングすると、そこには今まで味わった事の無いエキサイティングなゲームがあります。最高級車の後部座席に座るのも良い、でっかいヨットのオーナーズチェアーに座るのも良い、しかし、自分の手で舵を握って、その感触を味わうのは、もっとエキサイティングではないか?本当の面白さを味わうには、自分で舵を握るに限る。よくよく考えると、自分の命を賭ける程、エキサイティングで、スリルがあり、これ以上の面白さは無い。人生はゲーム、どんなゲームをするかは自由。退屈なゲームをしても良いし、命を賭けても良い。ただ、言える事は、みんな80年経てば、全てを失うという事です。この絶対的事実の前に、どうします?

さあ、ヨットで遊びましょう。ヨットでセーリングしよう、ヨットで冒険をしよう、ヨットであらゆるフィーリングを味わってみよう、生きてる間に、できる事はみんなしよう。みんなゲームなんですから。あまり深く考える必要は無い。生きて、生きて、生きまくる。じっとしてても、時間は過ぎる。誰かが遊ぶ事は世界を救う事でもあります。謙虚は日本人の美徳でありますが、遊びがそれを阻害するわけではない。ヨットで遊んでいても、精神的には謙虚になれる。謙虚は精神的な問題であり、考え方の問題である。よって、どんなに贅沢しても、精神はジェントルマンであり、レディーで居よう。しかし、贅沢三昧しますと、謙虚で居る事が難しくなる。ですから、これは試練でもあるんですね。何というゲームでしょうか!それができれば、素晴らしい人生になるんでしょうね。面白い人生で、人間的にも素晴らしいなら、これ以上は無い。そうありたいものです。

以上、本日の独り言的、戯言でありました。

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