第八十九話 感覚

一旦セールをセットして走り出したら、あれこれ考えずに、走っている時の感覚に集中してみてはどうかと思います。顔に当たる風の感覚、波の音、手に伝わる感覚、全身で感じる感覚、集中しますと自然に感覚は研ぎ澄まされる。そこにもっと集中して、ただ感覚に集中しながら、何がやってくるのかを待つ。

よりうまい技術は、この感覚によって感知される事によって成功となる。否、あらゆる動作は感覚によって感知され、それらも成功となる。小さな変化から大きな変化まで、一瞬の変化が感知されてこそ、面白さの火種が生まれる。

様々な行為は我々の頭脳で認識され、記憶されます。この記憶と、感覚において感知された感覚の記憶はまた別種類のものではなかろうか?セーリングをしたという記憶と、それと実際のセーリングの感覚とは違う。我々に絶大なる影響を与えるものは、セーリングしたという行為よりも、セーリングから得られた感覚の方ではないでしょうか?

何ノットスピードが出たというより、その走っている最中の感覚、7ノット、8ノットという数値が面白さでは無く、その時のスピード感、何度ヒールしているよりも、その時のヒールしている感覚、舵が重いや軽いだけでは無く、手に伝わる感触、物理的変化も重要ですが、その時の自分の感覚の方がもっと重要ではないか?

何故なら、物理的に何かを達成しようという場合は別でしょうが、そうで無いのならば、どんな感覚を得たかの方が面白くなる。感覚に集中するならば、感覚はどんどん磨かれ、鋭敏になり、今まで逃してきた感覚さえも感じられるようになる。感じられるというのは、非常に面白い事ではないかと思います。

適切なセールトリミングを理解して、それを実行できるのは重要ですが、そのセーリングを感覚的に感知できないならば、頭で納得するしか無い。それで良いと。でも、感知できない違いは面白さにはなりません。感知できないので、計器で確認するしか無い。でも、違いを感知できるなら、それがまたセーリングにフィードバックされ、次の操作となる。その次々の変化を、感覚的に楽しめるようになれると、味わいという感覚的遊びができる。

ご馳走を食べる時、まずは見た目で美しさを確認します。感覚的に味わう。そしてどんな風に料理され、どんな食材かを考えたりもする。最後には、食べて味わう事が最も重要で、感覚的に感じないのは、食べても味覚が無いに等しい。

誰もが、何も感じない事は有り得ないのですが、そこを意識して、もっと感覚に重点を置いてみてはどうかと思います。物理的に何人寝れるか、キャビンで何ができるか、何ノット出たかは、通常我々が考える普通の事ですが、そのもっと先に、いつもどんな感じがしたかを意識する事は、これから先、自分の面白さを増幅させる事にも繋がると思います。

セールをセットしたら、感覚を意識、全ての変化を感じ取ろうと集中します。何か操作をしたら、また感覚に戻る。感覚が操作の指針になれば最も良いかもしれない。セーリングというのは、この感覚に非常に集中しやすい行為だと思います。レースとも、クルージングとも違うやり方であります。
こういう遊びは他には無いのではないでしょうか?自分の感覚に集中していますと、微妙な変化に気がつく事が嬉しくなります。快走だけが楽しいわけでは無い。わずかなブローに、ふっとスピードが増した感覚、それが感じられた事に嬉しくなります。言葉では言い表せない、何とも言えない感覚が嬉しくなります。

そして、より良い感覚を得ようと、腕も磨きたくなるし、知識も増やしたくなる。それがまた、感覚に影響を与え、その感覚がフィードバックされて技術に向かい、そういう良い循環ができる。波に当たる感じ、ヒールする感じ、走る感じ、舵の感じ、言葉で言えば簡単ですが、感覚的はいろんな感じを得られます。こんな事をやってますと、技術における知識というものとは別に体が覚えた感覚も積み重なり、別のヨットに乗ったり、或いは、自分のヨットでも、何か違うとか、いつもとは違うとか、繊細な感覚が作られる。

セーリングが滑らかです。と言います。この滑らか感は、感覚で感知できないと解らない。でも、これが感じられると、楽しさが増加します。この他にもたくさんの感覚があると思います。ひとつでも多く感じられるようになる事は、そのまま面白さになると思います。ですから、セーリングしている時は、自分の感覚に意識して集中する事をお奨めします。特に、デイセーリングで、シングルの時は、そういう感覚ゲームを味わう。これならひとりでも寂しくありません。むしろ、面白い。これに慣れてくると、誰かと一緒でも簡単に感覚セーリングを味わえる。人が気付かない事でも気付く事ができる。感知できればその感覚を味わい、遊ぶ事ができるし、状況によっては、次の動作の指針にもなります。

仮に、最高のセーリング技術を持ったとしても、感覚的に感知できないでは面白くも何とも無い。ただのセーリングマシンになってしまう。自慢はできるかもしれませんが。まあ、鋭敏な感覚無しで、最高の技術も無いでしょうが。でも、鋭敏な感覚を持つと、たとえ上手では無くとも、楽しむ事はできるし、上達する事もできる。スピードが出たら、それが面白いのでは無く、数値が面白いのでは無く、その時に感じている自分の感覚が面白いのではないでしょうか?

ですから、是非、セールをセットしたら、感覚に集中して、感じる何かを味わってみて下さい。そうやって乗り続ける事で、自然に感覚は研ぎ澄まされていく。そして、ある日、何とも言えないような感激するような感覚を味わえる時がくる。これはレースやクルージングというのとは違い、目的の無いセーリングだからこそ、感覚に集中できるのではないかと思います。ただのセーリングは何も無いようで、実は大きな面白さがあると思います。

レースは勝利を、クルージングは目的地を、セーリングは感覚を楽しむ。

感覚に集中するようになりますと、走るという行為にも、いろんな違いがある事が解ります。ヨットによってその中身は大きく違うし、同じヨットでも、整備状況によって大きく違う。速いか遅いかというのは、その中の一部の要素であり、同じ速いでも、感覚的には違ってくる。この感覚はデータとして表されるものではありません。良いヨットは良い感覚をもたらしてくれる。また、感覚的に好き嫌いもあるでしょう。我々はセーリング技術につい向かいます。それしか、議論のテーマにはならないからです。でも、鋭敏な感覚を持つ事はそれ以上に重要ではないか、面白さはそこにあるのではないかと思います。同じように5ノットで走るヨットがあるとしますと、5ノットが楽しいのでは無く、その時の自分の感覚がどうかです。それはヨットによって違う。軽い、重い、船型、ハルの堅さ、その時のヒール具合、舵の感覚、様々な要素がありますから、違って当然ですが、その違いを感知できる事が面白さなのではないかと思います。大きな違いは誰でも解る。ですから、繊細な感じの違いが解れば解る程に、面白さも深まってくる。

外部に面白さを見つけようとするのは容易ではありません。どこかに行くとか、誰を誘うとか、いろんな手段を講じる事になります。でも、感覚に面白さを見出したならば、何も必要では無い。簡単であります。デイセーリングは、そんな遊びなのかと思います。そして、感覚に集中する事で、自分の好みの感覚も良く解ってくる。すると、面白さの方向性も解ってきます。

ハルの堅さはデータには出てこない。バランスの良し悪しも、データには出ない。どんな時にどんな動きをするか、その時の感覚も解らない。でも、本当の面白さは、そこにあるのかもしれません。
船型や排水量、バラスト比、セールエリア等々のデータである程度推測はできるかもしれません。それと、過去の経験から推測する事もできます。データからの推測もありますが、過去に積み重ねた感覚の蓄積は、おおいに物を言うのではないかと思います。

何とも言えない滑らかさを得た時、一体どんな感じになるでしょう?その感覚の楽しさはどうでしょうか?セーリングの醍醐味はここにあるのではないでしょうか?感覚にあるのではないでしょうか?ならば、それを味合わない手は無い。クルージングに行って、行った先の温泉に浸かるその瞬間に思わず、あ〜っと声が出る。その瞬間の感覚はどうでしょうか?ビビール一口目に味わうあの感触はどうでしょうか?楽しさ、面白さ、幸福感、全ては感覚の中にある。それを得んが為に、いろんな事をします。それら行為は手段であります。そして最後は感覚にどう感じるかです。そして、セーリングはその感覚にダイレクトに繋がる。それがセーリングの面白さではないかと思います。

もちろん、いつも良い感覚に浸れるわけではありません。でも、まずは、良い感覚、悪い感覚とか分類せずに、来る感覚をそのまま味わう事が必要なのかとおもいます。どんどん味わっていくと、その先にまた何かが現れてくるような気がします。ついつい何ノット出たとか、舵が重いとか、操作とか、いろいろ考えてしまいますが、できるだけ考えないで感覚を味わう事が、まずは重要なのではないかと思います。ひとつのヨットしか乗った事が無い場合は自分のヨットの感覚しか解らない。でも、もし、他のヨットに乗るチャンスがあった時、感覚が研ぎ澄まされていれば、その違いが解ります。感覚的違いが感知される事こそが面白さでは無いでしょうか?それは変化を感知する能力でもあります。面白さを感知する能力でもあります。面白さは、感知できるかできないかの違いかもしれません。

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