第十八話 観察

ある本を読んでいましたらこんな事が書いてありました。年を取りますと、時間が早く過ぎてしまうように感じる。あっという間に1週間、1ヶ月はおろか、1年が過ぎて、また年を取る。良く聞く話です。
その原因は何か?時間については平等なはずですが、でも、そう感じてしまいます。その本の答えは、年を取って過去の経験をたくさん積み重ね、その記憶が膨大になり、今現実にしている事への集中力が削がれ、いつも過去の経験によって、頭が占領されてしまう。だから、今何をしているかに気持ちがそこに無い事が多く、時間に対して、何をしてきたかの内容が非常に薄くなる。という内容でした。

確かに、そうかもしれませんね。行動する前に、過去の経験を通して、ある程度の予測や期待をし、セーリングに出たら、それとの違いに気持ちを削がれ、さらに、自分の中にある良いと悪いの極端な分離にかき回され、いつも心ここにあらずという事があります。それでは充分に味わう事ができない。それで、3時間のセーリングに、一体どうだったかの記憶すら薄くなる。これでは面白くありません。それで、どうすかと言いますと、もっと刺激的な何かがほしくなるんですね。

それで、どうしたら良いのか?という事で、観察する事と考えました。何も考えずにひたすら観察する事ができたら、それが面白さの扉になるのではないか?観察は、過去や未来は観察できません。今ある状態を観察する事になります。船体の動き、舵の動き、セールの形、風の具合、波の状態、等々、今ある状態をどれだけ観察できるかによって、我々のその時々のフィーリングに繋がっていくと思います。すると、観察できた分だけ自分のフィーリングにも相応の変化がある事に気付きます。変化がある事が面白さに繋がる。変化が無いわけでは無く、どれだけ変化に気付けるか?それは観察という行為によって得られる。

大抵は大きな変化を求めます。刺激がほしいからです。それは観察力が鈍っている事でもあります。観察力が鈍いから、大きな刺激を求める。それで、大きな刺激を得て、それが面白かったにしても、次にまた大きな、もっと大きな刺激を求めます。でも、この事は、その反対の面白く無い、得たくない刺激さえも得る事になります。それが大きくなりすぎると、それも嫌なのです。でも、このふたつは同じ事かもしれません。

ホームラン狙いばかりで大振りばかりしますと、三振も増える。微妙な変化球や、コースに投げ分けられますと、簡単に打ち取られたりします。野球は頭でするもんだ、と野村さんは言ってました。
野球はホームランか三振かにだけ魅力があるわけでは無く、その間にもたくさんの魅力がある。
そこに気付くかどうかが、野球を楽しめるかどうかかもしれません。

セーリングも同じで、快走にだけ面白さを持つと、殆どのセーリングに面白さを見出す事はできないだろうと思います。快走はセーリングの中のほんの一部でしかない。野球のホームランと同じでしょう。

セーリングを観察する事で、快走以外にあるたくさんの現象に気付く事で、そこにセーリングの深さを知る事ができる。それには、ヨットの観察、自然の観察、そして自分が感じているフィーリングも観察して、そこに集中する事。そうなると、味わったという実感が浮き彫りにされてくるのではないかと思う次第です。

普段の生活において、観察する事は多くの頭脳の邪魔を受けます。しかし、セーリングでは、比較的集中しやすい。あるオーナーはセーリングほど簡単に集中できる事は無いと言われます。それができますと、実に、楽しめる事がわかる。観察する事は、セーリングを楽しむ秘訣ではないか?とさえ思えます。つまり、我々は自分の頭の中で生きており、現実に起こる事実の中に生きていないのかもしれません。だから、時間が早く過ぎてしまうのかもしれませんね。それを観察する事で、より多くの変化を見出し、そこに面白さを発見できるのかもしれません。

観察力の度合いに応じて、変化を見出す事ができます。鋭い観察力を持つ人は、それだけ多くの変化を見出す事ができますし、それに応じてフィーリングも得られる。その為には集中力を発揮しなければなりません。ヨットは海の世界、陸上とは違いますし、不安定な世界でもあります。ですから、集中しやすいのではないかと思うのですが。そう意識してセーリングしてみてはいかがでしょうか?何かが違ってくるかもしれません。

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