第六十三話 10年という期間

ヨットを始めますと、だいたい最低でも10年はヨットを続けるでしょう。10年というのは、長いようで短いようで、でも、結構、いろんな事ができる期間であります。

ヨットを始めたら、まずはピクニックセーリングをお奨めしています。しかし、10年間もピクニックセーリングだけを楽しむ事ができる人は少ないでしょう。ならば、どうやって、10年、又はそれ以上の
期間を充実したヨットライフにするか?

ピクニックセーリングでも、しょっちゅう乗れば、それなりの変化が生まれ、何か違う事をしたくなったりします。それが前に書いた向上心ですが、そこで目的を持ちます。以前、無目的と書いたので、それと矛盾しますが、ここで言う目的は、何かになろうというある一定の目的地のようなものでは無く、方向性みたいなものです。

ピクニックセーリングはゲストを伴う事が普通ですが、いつも誰かと、というわけには行きません。必ず、ひとりの時があります。ひとりなら乗りませんでは無く、ひとりでも乗りましょう。相変らずのピクニック気分でも良いですが、ちょっとだけセーリングに頭を使ってみます。気も使ってみます。

目的を、セーリングにおけるより良いフィーリングの為に、と置きます。うまくなるのが目的では無く、より良いフィーリングを得る為の手段としてうまくなる。

実は、10年という期間、ただピクニックセーリングだけで、楽しさをずっと持続させるのは、かなり難しいだろうと思います。もし、それができる方はそれで良いと思います。でも、ピクニクセーリングだけではどうも、と思われるなら、長期間を持続させる唯一の方法は面白さを感じれるか、になると思います。それは新しい何かを発見し続ける事ではないかと思います。

10年間、あっちこっちに旅をした。そういう方法もあるし、10年間、セーリングを追求してきたという方法もあります。どっちが良いわけでも無いのでしょうが、各自の好み、性格の問題でしょう。

私としては、10年間かけて、ピクニックセーリングとセーリングを追求していく方をお奨めしています。誰でも、しょっちゅうできるし、フィーリングと質を求めるやり方です。大海を知らず、されど深さを知るです。ピクニックセーリングも楽しいというフィーリングです。そしてセーリングは面白いというフィーリングを得ます。

あっちこっちに旅をすれば、それなりの苦労がつきまといます。苦労したからこそ感激もあるとも言えますが、できるだけ苦労は少なく、それでも最大限の喜びを得たい。それがセーリングであります。

セーリングは、ある目的地があって、到着という明確な結果というものがありません。いつも、それは次へのプロセスです。でも、フィーリングを重視し、それに対してヨットの性能を考え、自分の技量を向上させていく中で、何とも言えないしびれるようなフィーリングに合います。フィーリングを注視していますから、それが喜びであります。そして、10年間のフィーリングの流れもあります。

旅は目的地が変化しますから、長い長い旅を続けなければなりません。しかし、セーリングでは、変化するのは風であり、波であり、それらはいつも変化していますし、自分のフィーリングも変化してます。求める変化の対象が違います。変化をどこに求めるかの違いです。

10年、それ以上の期間、充実した何かを味わうには、それなりの何かが必要で、旅とセーリングに分けてみました。その何かは、方向性を与える事。進む方向性さえ決まれば良いと思います。

人は苦労して手に入れたものに価値観を見出します。簡単に手に入れたものを軽んじる。それが同じものであってもです。物の価値はプロセス次第という事になります。でも、これは変ですね。物は変わらないのに。という事は、手に入れた物よりも、そのプロセスの方が重要なのかもしれません。

遠くへ旅して、やっと到着する。大変な苦労がつきまとう。セーリングは目の前の海域でできます。だから、旅の方が価値が高いのか?そんな事はありません。

セーリングは着眼点が異なります。フィーリングの種類、フィーリングの深さに注目しています。旅ほどに肉体的苦労はありませんが、気持ちは研ぎ澄まされ、集中しています。ただそれを苦労とは感じない。でも、苦労とは感じないが、得られたフィーリングには、その人だけが解る価値観が生まれる。苦労せずに、最大の利益を得る。セーリングは苦労とは感じないだけです。

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