第八十六話 結果の無いセーリング

レースをすれば順位という結果を得ます。旅をすれば、目的地に到着するという結果を得ます。魚釣りをすれば、竿から感じる引きと、最後には魚をゲットします。これらは、何らかの結果を得るゲームです。プロセスがどうであれ、結果が良ければ、プロセスを忘れてしまう事もあります。

でも、音楽というのはどうでしょう。イントロから始まって、サビの部分で盛り上がって、最後はエンディングで終わる。ここに結果はありません。プロセスのフィーリングが残ります。でも、音楽は聴いていないと、同じ感覚は湧いてこない。バックで流れていても、話に夢中なら、聞いていない。食事に夢中なら聴いていない。という事は同じ感動は湧いてこない。

レストランで聴く音楽は音楽が主ではありません。単なるBGMになります。でも、コンサートに行きますと、聴く気満々ですから、最初から最後まで、集中しています。ですから、そこに感動が生まれる事もある。

セーリングは結果の見えないゲームです。それは音楽と同じではないか?耳を傾けて、良く聴かないと、感動は生まれない。セーリングをBGMにして、ピクニックするのも良いものです。カフェで友人と話をしながら、バックで音楽が流れているようなもの。でも、そのBGMは無駄では無く、そこの雰囲気を作ります。時には、良い音楽だと思うような事もあります。

セーリングは音楽と同じ。コンサートに出かけるか、或いはカフェで聴くか、それによって感じは異なる。つまり、目に見える結果の無い行為なので、こちらの心構え次第であります。BGMのようにセーリングして、そこから何かを得る事は少なく、主役は会話とかです。

セーリングを楽しもうと思うなら、コンサートに出かける気分でする必要がある。結果の無い行為ですから、プロセス重視の行為ですから、その気になってやるかどうかが大きな差を生み出します。
フィーリング重視というのは、目に見える結果では無いものの、時に、目に見える結果より何十倍もの満足感を得る事があります。

そして音楽と違うのは、自分が演奏者でもあるという事です。自分が演奏者であり、聴く側でもあるという事です。つまりはどんな演奏をするかで、聴く側の姿勢も決まります。

セーリングはなんらかの結果を生み出す行為では無いだけに、漫然としたセーリングになりがちですが、音楽に例えれば解りやすいのではないでしょうか?全ては自分の気持ち次第という事になります。演奏者として良い演奏をという気持ちがあれば、良い聴き手にもなる。

そして、ヨットは楽器であります。どんな楽器を使うか?どんな楽器なら、自分の思う良い演奏ができるか? 全ての演奏家は、良い楽器を使って、腕を上げて、良い演奏をしたいと思います。でも、そうしたからと言って、何かの結果を得るわけでは無く、より良いフィーリングを残すのみです。でも、それが満足感になります。セーリングも同じではないでしょうか?

より良いヨットで、腕を上げて、より良いフィーリングを得たい。そこに満足感を得たい。目に見える結果が無いだけに、フィーリング重視となります。形態は違うけれども、音楽とセーリングは同じ種類のものではないかと思います。

どんな演奏をするかは、風次第。風は伴奏であり、リズムでもあります。こちらが合わせる必要がある。という事は、何を演奏するかは、出てみないと解らない。これは音楽とは違いますね。
でも、自分でも、そこを楽しみに思えると良い。今日はどんな伴奏なのか?すると、それが、どんな音楽になるのか?速いテンポ、遅いテンポ、どちらでも楽しめるようになれれば最高なんですが?

気分が変われば、見方も変わる。ほんのちょっとした変化で、捉え方も違ってきます。出る前の気分、セーリング中の気分、終わってからの気分。そこにいつも気が着くというのがセーリングの味わい方ではないかと思います。気が着いてさえいれば、今後の乗り方にも影響を与えます。つまり、漫然とした乗り方を脱して、意識的なセーリングをするという事になります。

良い演奏、良い音楽、良い気分。何も見える結果はありませんが、心は満足ですね。

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