第九十三話 妄想

常に何かを妄想しています。こういう場合、ああいう場合と未来を妄想し、それに対応できるようにと考えます。それは良い事のようで、でも、落とし穴がある。

いつか遠くに行きたい、友人がたくさん来たら、寝泊りするには快適さが、泊まるなら、あれもこれも必要だし。そんな、いろんな妄想をします。落とし穴とは、何にでも対応しようとするから、本当の自分の面白さを見失う事になりかねないという事です。

妄想の多くは起こらない。起こっても、何とかなるもんです。妄想をしますと、それが強いと、今できる事さえなおざりに成りかねません。今できる事で楽しむという事が無くなります。

引退したら、日本一周をしたいと夢を描きます。でも、その夢は今現在持っている夢であり、引退した時もそう思っているかどうかは解りません。いろんな事情も出てくるでしょう。夢は夢として、それはキープしながらも、今できる、今したい事をするのが良いんじゃないでしょうか?

世の中、夢だ、夢だ、と騒ぎすぎる。だから、夢があまりにも重視されて、そこに至るプロセスが軽視されてしまう。日本一周はすごい事でしょうが、達成する事、日本一周した経験を持つ男になろうとするあまり、プロセスが軽視されます。何故、日本一周したいのか?その過程における、いろんな出来事、出会い、そういうものを楽しみ、味わう為ではないでしょうか?その結果、日本一周したなら、それでOKなのではないでしょうか?

好きだから旅をする。日本一周する事が好きなら、それでも良いんでしょうが。旅が好きで続けてきたなら、その結果達成したならそれでOKですし、もし、何らかの事情で達成できなくても、充分に旅を楽しんだ。日本一周が楽しいのでは無く、旅が楽しい。それなら気楽です。たとえ、日本一周しても、その瞬間に死なない限り、ゴールはまだまだ。次の日もやってくる。

未来を妄想しますと、落とし穴に落ちてしまう。今したい事とできる事を見て、それをするのが最も楽しめる方法ではないかと思います。妄想しますと、ある結果を想像します。結果だけが全て、最も重要になりかねない。考えてみますと、結果は瞬間ですが、そこに至るプロセスの長い事。そのプロセスをないがしろにするのは、殆どの時間を軽視する事になりかねません。

ですから、プロセスを重視したいと思います。そのプロセスは、旅の始まりから終わりまでというプロセスのみならず、どうやってヨットと接していくかという、もっと大きなプロセスです。それを、今できる事から始めて、そのプロセスに起こるいろんな事を味わい、次は一体どうなるの?ゴールは一体どうなるの?という一種の冒険であります。ゴールは解らない。妄想しても、そうなるかどうかは解らない。それより、次はどうなるのか?とワクワクできれば面白い。

そういう意味で、セーリングはプロセスの遊びです。唯一、目的の無い遊びです。上手くなるとか、自由自在とかは、明確ではありません。これは方向性です。ゴールでは無い。目的の明確で無い遊びは、解りにくい。目的が明確だと、みんなやり易い。でも、明確な目的は、プロセスを軽視します。殆どの時間がプロセスなのに。

プロセスはある状態です。状況です。これにも、妄想しますと、それが目的にもなります。快走とかです。そうなりますと、快走以外は面白く無いになってしまう。難しいものです。一番良いのは、何も妄想しないで、今日はどんなセーリングになるかな?と思えれば、それが一番良いような。

妄想は未来予測、夢、期待。世間とは逆ですが、何も妄想しないのが、最も楽しめる秘訣ではないかと思いますね。反論がある事は承知です。

セーリングに出ます。セーリングを楽しむ。次の瞬間に、向こうの島に行きたくなったら行けば良い。帰りたくなったら帰れば良い。いつも心変わりしています。変わる心を見て、その時にできる事をすれば良い。臨機応変です。できない事は諦める。これこそ自由自在ではないでしょうか?

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