第二十七話 雨が降れば

雨が降れば、傘をさす。常識であります。でも、雨が降った時の対応はこれだけではありません。
出かけない方法もあるし、雨がやむまで雨やどりもあるし、濡れていこうもあります。でも、常識的には、傘をさす。

我々は反射的に、何かがあれば、こう対応するというのがあります。もちろん、それらは正しい方法だと思います。でも、正しいか、正しくないかは、その目的が何かに寄っては、違っても良いはずです。つまり、何らかの対応をするならば、その反対に、何かを失う事もある。傘をさすには、傘という荷物を持って出なければならないし、コンビニで買うなら、お金が要るし、雨がやんだら、もっと荷物になる。でも、濡れる事を避ける為には、傘をさすのが当たり前です。しかし、濡れても良いという選択もあります。

セーリングして、スプレーを浴びます。濡れないようにする為に、コクピットドジャーを設置する。この対応は正しいか?夏の日差しを避ける為に、ビミニトップを設置する。これは正しいか?メインセールをあげるのがしんどくなってきたので、メインファーラーにする。或いは、電動ウィンチにする。これは正しいか?

別に、これらが間違っていると言いたいわけではありません。対応としては、正しい。しかし、得るものがあれば、無くすものもある。ドジャーがあって、視界がさえぎられたり、ビミニトップがあって、煩わしかったり、メインファーラーで、セーリング性能を落としたり、電動ウィンチでお金を使う。
スプレー浴びて、じゃあ、濡れちまえば良いと、思えるなら、事は簡単です。対応はたったひとつ。
気持ちの切替です。そして、さらに、それも面白いと思えるなら、もっと良い事になります。別に、それが正しい対応であると言いたいわけではありません。そういう対応もあるという事です。

常識的な対応というのがあるにはありますが、ヨットは遊びである為に、ある事態を嫌と決めつける前に、その物をそのまま受け入れる事も、対応のひとつとして考え、それも遊びにできないかと考える余裕があっても良いような気がします。それでも、と思うなら、次の手を考える。

昔は、ドジャーはあった方が良いと思っていました。その効用は良くわかります。スプレーを避け、雨を避け、寒さも避ける。ドジャーは有り難い優れものであります。しかし、ある時、スプレー浴びても、大笑いする人が居た。なるほど、それなら、ドジャー無くても良いなと感じました。受け入れて、楽しんでしまえれば、気が楽になりました。今では、必需品とは感じません。

だから、不要論では無く、これは人それぞれですので、ただ、正しいがひとつでは無い。何でも、無条件に、反射的に、対応をしてしまうのを、ちょっと考えても良いのかなと思う次第です。まずは、その不便をそのまま受け入れる事ができないか?考え方によっては面白さとして受け入れられないか? ちょっと工夫できないか? 常識的な対処をする前に、そういう考えを巡らす余裕があればと思います。

スプレーを浴びて、大笑いできるのなら、ドジャーは無い方が良い。できないなら、あった方が良い。それだけであります。もし、大笑いできるのなら、ひとつ遊びが増えました。これは、単なるひとつの例にすぎません。

あった方が良い。無くても良い。無い方が良い。

無いと不便を感じます。不便が不便のままなら、これは何らかの対応を。もし、その不便に工夫をして、それが面白さになったら、これは面白さがひとつ増えました。何も工夫せずに、そのまま受け入れられたら、それも良し。受け入れた事で、違う面白さがでてきたら、もっと良し。

あれば良いとは限らない。無くて良いとも限らない。無い方が良いとも限らない。全ては、考え方次第。遊びは考え方次第。気持ち次第。正しいものは何もない。全部ゲームして遊んでいるだけでなんですから。どういう対応のゲームをしましょうか?

こうしなければならないという事は無く、どうしようかと、そのゲームがあるだけですね。面白いと感じれる対応をするといいう事になりますね。たとえ痩せ我慢をしたとしても、それもゲームのひひとつ。そういうゲームをしているんだという事ですね。

という事で、雨が降れば、傘をさす。かっぱを着る。どこかで雨やどり。濡れていこう。どれもが対応手段です。それで、どのゲームをしよう、と意識的に行動するのが良いと思います。

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