第四十一話 感覚重視

もっと感覚を大切にしても良いのではなかろうか?そんな気がします。こうだから、こう。という理屈ももちろん重要ですが、我々は人間ですから、感覚を持つ生き物ですから、物体と生物を分けるのは、この感覚でありますし、その感覚の複雑さは人間と動物を分けます。我々は複雑な感覚を持つ動物でありますね。

何を成すかも重要なんでしょうが、それがあまりにも行為自体を重視しすぎてきた感じがします。
何をするか、したか、という事も重要でありながら、同時に何を感じたかも同じくらい重要であると思います。日本一周したという事実がり、世界一周したという事実が、世間的にすごい事なのですが、その間に何を感じてきたか?場合によっては、この感じの方が重要である事もある。

便利な時代から、感覚の世界へ。これからは、そういうテーマが重要視されていくのではないかと思います。何故なら、既に便利になったからです。感覚は良いと悪いのふたつに分類するのは、あまりにも単純過ぎます。その間に、膨大ないフィーリングがあります。

この膨大なフィーリングを、味わう。すべての行為は感覚を創ります。ですから、行為を手段として、いろんな感じを味わう。本当は今までも、感じてきたわけですが、あまりにも、便利にとらわれすぎてきたのではないか?便利さゆえに、それを無条件に採用してきたのを、ちょっと待って、それを採用したら、確かに便利にはなるけど、その後、どういうフィーリングを味わうだろうか?と考えても良いのではないでしょうか?

ヨットは遊びです。遊びは、面白くなくてはならない。その便利は面白さを味あわせてくれるだろうか?どんなフィーリングをもたらすか?そう考えても良いのではないでしょうか?その結論として、採用しても良いし、しなくても良い。

これをするには面倒くさいと思う。でも、したらどういう感じになるか、しなかったらどういう感じになるか?どっちでも良いのですが、それを自分に問う事は、自分のフィーリングを大事にする事であり、遊びという面白さを味わうには、その事は大切にした方が良いのではないかと思います。

それで、この問いに対する、正しい結論の出し方は、結局は自分のフィーリングに聴くのが一番。
考える前に、感じをつかまえて、その感じに従ってみる。面白そうだと感じたら、試して見る。考えたら、面倒くさい、しんどい、できるかな、いろいろ考えます。すると、面白さを逃してしまうかもしれません。考えて出る結果は、ある範囲、自分のこれまでの範囲を越えられない。これまでが面白かったなら、それで良いが、もっと違う面白さを感じたいなら、考えない方が良いかもしれません。

人間にとって頭脳は重要です。ですから、無視はできませんが、頭脳とフィーリングの使い分けを考えてみるというのも、何かありそうな気がします。そして、これまでは、あまりにも頭脳偏重でしたから、ここらで、ちょっと頭脳を、必要な時だけ使う事にして、もっとフィーリングを重視したら、新しい世界が広がるかもしれません。これは面白い試みではないかという気がします。

世間では、頭脳を活性化させる云々という話が多いのですが、その反対をしてみる。頭脳をどういう時には使うか、それ以外はできるだけ使わないようにする。頭脳を使わないと、たちまち、感覚が活きてくる。その使い分けが重要になりますね。それをセーリングでやります。

セーリングというのは、人間の感性を活性化させる、非常に良い手段ではないかと思います。そして、案外、フィーリングというのは、頭脳に劣らないぐらいすごい性能を持っているのではないかという気がします。何しろ、パッと見た瞬間に、その時のデータを処理して、感じとして伝える。色も形も雰囲気も、全て瞬時にデータとして捉えます。ただ、頭脳のように、感性を意識してこなかったから、その曖昧さに頼りなさを感じるだけかもしれません。ならば、セーリングを通じて、感性を意識して、遊んでみたらどうでしょうか?感性が鍛えられるかもしれません?

すると次はどうなるでしょう?私にも良く解りませんが、きっと面白さは増えているのではないかという気がします。ただ、感覚偏重も困ります。頭脳を使って、理論的に動く部分と、感覚から得られるデータで動く部分とを上手に使い分ける。それを遊ぶ事ができれば良いなと思います。

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