第四十三話 飽き

帆走を始めた頃は面白い。しかし、徐々に飽きる事もあります。飽きるというのは、変化を見つけられないところにあります。変化が無ければ、だれもが飽きてきます。でも、本当は変化が無いという事は無く、変化を見つけられないではないかと思います。

飽きたという事は、慣れて、そのレベルに達した事であり、そのレベルに留まる事かもしれません。ならば、次のレベルへ進んだ方が良いというサインでありますね。という事は、もっとセーリングについて学ぶ必要がある。もっと詳しく知るべき段階に来たという事かと思います。

飽きを感じた時点で、他の事に興味が移って行く方もおられます。でも、ここは、帆走にもう少し進んではどうかと思います。まずは、知識から、本読んで、誰かに聞いて、設置された艤装の役目と効果を知ります。知識は簡単に手に入れる事ができます。しかし、実際にそれを応用していくとなりますと、これは難しい。

調整する方法を知識で知り、どの程度実際に調整すべきかは、何度も乗って実践の中で知るしか方法が無い難しさがあります。ですから、そこにレベルができ、上手い、下手の違いが出てくる。その違いが解ってくると、面白さの入り口に居る事になります。

風が左から吹いて来れば、セールは右。誰もが知っている事ですが、どの程度右なのか?その時のセールの形も影響します。組み合わせは非常に多い。その面白さを得るには、変化に気付く事が必要になります。操作しても変化に気付か無ければ、面白さは解りませんから。

操作によって変化に気付く事が第一歩。その変化をどうしたら、どうなるかがその先の永遠のテーマ。そうなると、一生遊ぶ事ができる。難しいだけに挑戦しがいもあろうというものです。

楽しさはその時の状態を意味し、面白さは一種の挑戦ではないかと思います。そして、楽しさは一瞬であり、面白さは永遠でもある。チャーターヨットで遊ぶのは楽しさであり、それが重要テーマですが、長い年月を遊ぶには、この面白さが無ければ、飽きてくる。

ヨットでどう遊ぶか? 実は結構大変な事かもしれません。チャレンジでありますね。本当の面白さが解るというのは、結構つっこんでいかなければなりません。陶芸しかり、絵画しかり、テニスでも、ダンスでも、何でも同じ事ですね。大変かもしれないが、やった人だけにしか解らない面白さというものがあると思います。面白さというのは、その前提に大変さ、難しさが無いと味わえない。ですから、面白い何かを得るというのは簡単ではありません。

遊びですから、やっても、やらなくても自由です。でも、やっても、やらなくても人生には違いない。どっちを選ぶかという話です。

陶芸を始めても、作れば良いという問題ではありません。絵画を始めても描けば良いという問題では無く、よりうまくなりたいと思います。それが面白さだから。ヨットだって、同じです。知って、理解して、乗って、うまくなっていきたい。そこに面白さがあると思います。

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