第四十六話 文化

高度に発達した社会、先進国では、もはや必要な物はほとんど揃っている状態になります。欧米先進国、日本もそうですね。昔は三種の神器とかありました。一軒がテレビを買えば、近所の人たちが当時流行っていたプロレスなんかを見にきていた。私も、昔経験があります。古い話です。
ですが、今では、物はあります。珍しい物もそう多くは無い。そこで、高級ななにがしかの物に移り、そしてそれも徐々に、ステータスの影が薄れてきているかもしれません。

テレビは当たり前の時代ですから、番組に工夫を凝らして、疑似体験をさせてくれます。それに伴って、大型化し、ハイビジョン化し、3Dなんかも出てくる。これらは、我々のフィーリングにより迫力とリアル化、或いは現実以上のインパクトを与える。

ならばどうなるかと考えましたら、これからは文化の時代?物が物で終わらずに、その物がどんな味わいとか、感覚とか経験とかをもたらすか?物から文化へと変わる。

豪華客船で世界一周の旅などは、かなり人気が高いそうです。或いは、テレビニュースで、東京に昔80年代に流行ったディスコ、マハラジャが復活したとか。その他も昔の文化を復活させた物の再登場で、物は珍しくも無く、その時の味わいを復活させている。

つまり、物としては既にあるし、困らないのですが、心が求める懐かしさ、ある種のフィーリング、味わい等が求められる時代なのではなかろうか?何々ができますよという事から、どんなフィーリングを味わう事ができますよ、という時代? ノスタルジーに浸るのも、そのうちのひとつかと思います。

物を手に入れるだけでは不十分な時代で、その物を手に入れて、便利になる時代では無く、どんなフィーリングを味わえるのか?それが重視される時代ではなかろうか?そういう意味では文化の時代。文化は物も含めてなのでしょうが、物以上に、味わいの何たるか?

そういう意味では、我々は、クルージングしてどういう味わいが得られるのか、セーリングしてどんな味わいが得られるのか、レースに参加してどうか、そういう事がテーマになるのかもしれません。こんな味わいはいかがですか?てな具合。

では、早速。デイセーラーはシングルハンドが容易です。これでは不十分ですね。それなら、ヨット未経験者のゲストを招待しても大丈夫。これでも不十分。

舵を片手に持ち、もう片方でシートを引くと、操作と同時にヨットの動きの変化が伝わります。風を燃料として、セールに受けて、その調整をしながら、素晴らしい走りとバランスの体感は、心地良い緊張をもたらし、その緊張故に、これまで感じた事の無い世界をもたらします。エンジン音の無い、自然の中を走り抜ける快感は、まるで、オーケストラをバックに、ソロ演奏をするがごとく、帆走者を異次元に誘う・・・・・。ちょっとオーバー?

まあ、それは兎も角、何が装備されているか、何ができるか、どんなに便利か、何人寝れるか、どこまで行けるか、そういう事ももちろん大事な事ですが、これからは、その先に何があるの?
同じセーリングであっても、そこにシルクのような滑らかさを感じたら、そこが重要です。微妙な変化を舵を伝って感じたら、それが重要です。シングルハンドはすべてに手が届くのも重要ですが、それで操作したら、自分の調整で、自分が即座に変化を味わえる。どれだけの調整をして、どう変化したかが解る。その変化の感じ方が重要なのではないかと思います。これは、クルーがやっても良いのでしょうが、でも、自分でやるのとはちょっとニュアンスも変わる。

要はフィーリングの時代。何を体感したいのか?そこが重要な時代ではなかろうか?その快感の為には、多少の不便さもあえて受け取る事もある。つまり、便利からフィーリングの時代へ。もはや便利は面白さとは違う。便利も受け取りつつ、その先のフィーリングが大事、そういう文化の始まり、始まり・・・・・。

どんなにお金があろうとも、家を何軒も持ってもしょうがない。高級車を何台も持ってもしょうがない。毎日ご馳走ばかりでも飽きもする。でも、限られた時間の中で、どんな感じを得ていくか、その体感、フィーリングという財産は、人生そのものでありますね。給料払ってクルーを雇うという方法もあるだろうし、自分で全部するという方法もある。それらは、フィーリングの違いをもたらす。どっちが良いかの問題では無く、どっちを体感したいのかという事になります。そして、体感したら、その先にどんなフィーリングを味わえるのかという事になります。

物の選択より、フィーリングの選択。そういう文化の時代。フィーリングが先で、物は後からきます。
世界一周したいという事が先で、では、その方法は飛行機もあるし、列車もあるし、豪華客船もあり、ヨットもあり、そして寛平ちゃんのように自分の足で走るという方法もある。寛平ちゃんは確かにすごいが、誰もが、それを面白いと体験できるわけでは無い。まさしく自分スタイルのフィーリングの時代。そういう文化の時代であります。物が先の時代は、みんな同じスタイルであった。でも、フィーリングが先になりますと、個性が出ます。という事は個性の時代かもしれません。

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