第五話  大事な事

1日だけレジャーとして楽しめれば良いというのなら、ヨットは何でも良いかもしれません。しかし、何年もという事になりますと、そうはいきません。所有しているだけで満足感を得られるのは最初だけでしょう。レジャーとして、楽しいというのも、きっと、年にそう何回も使う事は無い。はたしてそれで良いのか?

ヨットは飾りで良いのか? ヨットは年に1回楽しむレジャーで良いのか? そういう疑問が湧いてきます。それにしちゃあ経費がかかりすぎますね。気にしない方もおられるかもしれませんが。

ヨットとは何か? 自分にとって何か? そういう疑問を抱いても良いのではないでしょうか? 何しろ、10年、20年と付き合うのですから、しかも、大枚はたくのですから、そこから何かを得たいというのは、自然な事ではないかと思います。

ある年齢からオーナーになって、そこから10年とか20年とかヨットをやりますと、子供が遊ぶおもちゃとは、ちょっと違います。遊んで、後はポイとはいきません。しかも、50代、60代、という大人です。大人には大人としての遊び方があります。何も、何か得るものをと探すわけではありませんが、でも、やはり、人生を潤す何か? ただ、楽しいだけでは済まない何か?

楽しいだけというのは有り得ないですが、仮にあっても楽しいだけというのは底が知れています。という事は大人の遊びとしては、物足りない。それでは長い年月の付き合いはできなくなります。

ヨットでセーリングしても、何も無い。1日だけ遊んでも、楽しいかもしれませんが、ヨットを知ったとは言えないでしょう。だから、ヨットは10年も20年もやれるわけです。ヨットは長い年月をかけて、知るものかもしれません。

長い年月をかけて、何を知るのでしょうか? 大袈裟に言えば、自分の人生との関わりという事になります。大人として、仕事をします。家族も養う。ヨットは何の為でしょうか?楽しそうと思って乗っても、苦しかったという事もあります。なのに何故、ヨットに乗るのか?たまに、楽しい時もあるから、それで良いのか?

ヨットであれ、何であれ、長い年月において、人生と共にするという事は、ヨットは人生において大きな意味を持つ事になります。どんな意味を持つか? というより、どんな意味を持たせるか?そこが大事になるのではないでしょうか? 楽しいだけでも、所有しているだけでも、勝手な話で、他人がとやかく言う事では無いのですが、でも、そこに何らかの、自分なりの意味を見出せると、ヨットは違うニュアンスになります。

ヨットで、セーリングを何年もしたからと言って、何があるのか?楽しい以外に何があるのか?そう言えなくも無いのですが、やはり、自分の目的において、自由自在に乗りこなすとか、そういう事が、目的をより深く味合わせてくれることになります。結局、人生は味わい。そこに尽きるのではないかと思います。すると、どんな味わいか?これが重要ですね。

味わい。旅の味わい。レースでの味わい。セーリングの味わい。味わいいかんにかかっている。どこにも味わいがありますが、どんな味わいを望むのか?そこが大事なところ。レースして、旅して、セーリングして、ピクニックして、宴会して、昼寝して、読書して、何でも良いが、どんな味わいを望むのか? それを私は、セーリングという行為に置いてみてはどうでしょうか?といい続けています。もちろん、望めば、何でも良いのですが。

ヨットはおもちゃですが、侮れないおもちゃですね。深く関わり、影響する事があります。年に1回しか乗らない場合と、しょっちゅう乗って、自由自在に乗れるのとでは、味わいは雲泥の差です。

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