第六十話 心はどこに?

どんなにセーリングクオリティーが高くても、それを感じれるかどうかは心次第です。心はここに無ければ、そのクオリティーを感じる事はできません。さらに、そのアンテナが高いか低いかによっても、感じる度合いが違ってきます。

良いヨットは、同じ高さのアンテナでも、より多くを感じさせてくれると思います。そして、そのアンテナをもっと高くしますと、もっと感じれるようになると思います。ヨットのセーリングクオリティーも重要ですが、自分のアンテナをより高くする事も重要かと思います。

心はどこにあるのか? セーリングにあるのか、今日の晩飯にあるか、明日の仕事にあるのか?
心は、簡単に、一瞬のうちに、どこへでも飛んでしまいます。せっかく良いセーリングをしながら、心がどこかに飛んでいますと、その今のフィーリングを味わう事ができません。

セーリングは、より良い品質のヨットという事もありますが、その前に、今あるヨットで、より高いアンテナを立てる事が重要かと思います。仲間との集いも良いし、クルージングの旅も良いし、レースも良い。しかし、できれば、セーリングの質を高いアンテナを立てて、味わってみる事をお薦めします。

すると何が解るか? そのヨットの本質が解るのではないかと思います。スピード、安定性、反応、操作性、船体の堅さ、そして、総合されて生み出されるセーリングクオリティー。そういう物が、感じ取れるのではないか? 新しいフィーリングの発見があると思います。それはレースに勝つ喜び、旅の目的地に到着する喜び、そういうものにひけを取るものでは無いと思います。

高いアンテナを維持する事に慣れたら、誰もが気がつかないような、微妙な変化が解るようになる。自然にキャッチしてしまう。アンテナが高いという事は、鋭敏になるという事で、それに慣れれば、いとも簡単に高いアンテナを維持できる。要は集中力の高さですね。それを簡単にできるようになると、別次元の面白さが出てくるのではないかと思います。

微妙に揺れる感じ、何か解らないが、微妙な振動が伝わる、かすかな音。大きな変化は誰でもわかります。ぼ〜っとしていても解る。でも、微妙な何かをキャッチするのは難しい。そこを自然に感じ取れるようになりますと、これは面白くなると思います。

微妙な変化がわかるからこそ、自分でやる操作が解る。操作して変化が解らないと、操作する意味が無い。何もそこまでしなくても、のんびり過ごせば良いとも言えます。それはそれで、楽しければ良いわけですが、でも、10年という月日をどう過ごすか? できれば、せっかくやるなら、そういうところまで解った方が面白さが深くなると思います。

そして慣れると、簡単にそれができるようになる。自然にできるようになる。後は、その度合いを、アンテナの高さをどこまで高くできるかになりますね。

我々は、自分の心でありながら、自由にコントロールする事ができません。自分の意思に反して、どこへでも飛んで行きます。それをうまくてなずける事は簡単では無いのですが、でも、ここにすべての謎があると思います。面白さの源泉があると思います。それができないから、周りの環境条件に頼る事になります。良い条件が揃えば、楽しい。揃わなければ楽しく無い。そういう事になります。それが普通かと思います。ですから、必死になって、条件を揃えようとします。しかし、それは無理な話。自然は自然の都合で、勝手に変わります。

ならば、こっちから近づいていこうか? いかなる条件であっても、面白さを得る方法はないか?という発想です。もちろん、ハードルは高い。そういう冒険、そういう挑戦という遊びです。少しでも、アンテナが高くなりますと、それだけ面白さが湧いてくる。もう少し、もう少しと永遠に続きます。それを10年つづけますと、どうなるでしょう? 10年後には、どんな感じを持っているでしょうか?それもなんだか面白そうですね。

快走も大事な事です。何ノットスピードが出たかも大事な事です。でも、もっと大事な事は、何を感じたかではないか? 時化に合うのは嫌なもの、辛いもの、どんなに風が強かったか、どんなに波が高かったかというよりも、その時にどんな感じを得たかが重要な事ではないかと思います。それは心がどこにあるのか? いつも此処にある事が大事。緊急時には誰もが、心を此処に置きますが、そうでは無い普通の時でも、できるだけ此処に。

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