第十五話 五感

我々は目で見、耳で聞き、舌で味わい、鼻で匂いを嗅ぎ、体で感触を味わう。外界の情報を得るには、この五つからしか入ってこない。この情報を、頭脳が集め、考え、分析したりして、判断を下します。

五感で得る情報は、人によってそんなに差は無いのだろうと思いますが、頭脳は人によって全く違います。どの情報を取り入れるかを選択しますし、その選択した情報の理解の仕方も違う。目の前の光景は見えますが、見える全てを均等に情報として扱うわけでは無く、見える物の中から、どれに集中するかを頭脳が決める。

同じ情報を得ながら、人によって異なる事を考えます。情報の処理の仕方が違う事になります。ある人は面白さを感じ、またある人は恐怖を感じたりします。でも、その経験が、次には慣れて、恐怖だったものが面白さに変わる事もある。結局、我々の判断は、その時の自分だけのものであり、絶対的なものは何一つ無いという事になりますね。という事は、その時得た味わいは、その時だけの独自な物、自分だけのものでもあります。

ですから、これはこうだと決めつける事はできないのかもしれません。ある人には良いヨットが、別な方には悪いヨットになるかもしれませんし、面白いも楽しいも、みんな独自のものという事になります。厳密に言えばですが。しかも、自分が慣れてきたりして、一度味わった事も、二度と同じ味わいを得る事も無い。同じようで、微妙に違う。

でも、共通した考えもあって、本当は絶対では無いのですが、一種の約束事のような、これは楽しい、これは面白い、これは良いヨット、これは悪いとか、そういう約束事みたいな物があります。でも、約束事ですから、そうじゃないと思える事も多々ある。いい加減なもんですね。

でも、セーリングの理屈というのは、過去の方々が築き上げた理論です。いかにヨットを走らせると効率が良くなるかという理論ですから、これは正しいと見るべきでしょう。もちろん、考え方の違いという事で操作の方法が違う事もありますが。ならば、ひとつの方法として、頭脳はこの理論に基づいて考え、いかに走らせるかを思考します。そして、五感で情報を得て、味わう。

頭脳は知識を必要とするし、技術を必要とします。そして五感は同じ情報であっても、集中度によっては感じ得ない事もあります。同じ情報なのに、それを拾える人と拾えない人が居る。自分自身でも、その時の状況によっても違う事があります。これは五感の違いというより、頭脳の集中度の違いですが。

という事は、より多くの知識を得る事も大事だし、より多くの情報を得る感性も大事だという事になり、一般的約束事で言えば、その方が面白いのではなかろうかと思います。ですから、セーリングを楽しむ為には、やはりひとつでも多くの知識を得た方が良いし、集中力もアップした方が、より面白さを味わう事ができるという事になります。

知識や技術だけが突出しても片手落ちですし、鋭い感性だけでも不十分。その両方を養っていく必要があります。そうしますと、より多くの味わいがあり、ひょっとすると、誰も味わった事の無い世界が開けてくるかもしれません。10年、20年と乗り続けると、どんなに変わっていくか?

こんなに長期間にやるというのは、もう人生そのものが深くかかわってきますね。自分の人生は誰でも大事だと思います。ならば、こんなに長くやるヨットも、それに応じて大事なものになります。
という事は、そうそうおろそかにはできません。どうせやるなら、充実させたいと思います。

ヨットはゲームですが、真剣に遊んだ方が良い。真剣と言いますと、何か肩ぐるしさを感じますが、そうでは無く、遊ぶ時も集中して遊んだ方が、特にセーリングなんていう一般レジャーとは異なる、趣味的な遊びはそうでしょう。仕事はONで遊びはOFFという意識がありますが、こういうのは遊びでもON、レジャーはOFFでも良いかな。

これもひとつの考え方ですから、正しくも無いし、間違ってもいない? どうもややこしい。でも、セーリングは真剣にやる価値はあるし、ONで遊ぶ価値があると思います。どうぞ、試してみてください。いい加減に遊んだのでは、いい加減な情報しか入ってこない。それがどうした、と言われれば、それまでですが。

でも、セーリングというのは非常に集中しやすいですね。それが風が落ちてくると、途端に集中度も下がる。だから、何とか意識してそういう時でも集中できるようにしたいなと思います。すると、また違う何かが見えてくるかもしれません。まあ、遊びですから、何でもやってみよう、とそういう事であります。やっても良いし、やらなくても良い。それが遊びですから、そこに各人各様があります。

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