第六十八話 キャビンヨット不要論?

ヨットに泊まるという考え方は日本人には少ない。欧米人に比べて、相当少ない。考えてみましたら、いくらヨットがでっかくて、快適であろうが、自分の家の方が絶対快適なのです。それは多分、欧米人にとっても同様ではないかと思います。

ですが、欧米人はヨットを別荘のように使う人が多い。それはマリーナ環境という事もあるとは思いますが、根本的に考え方が違うのかもしれません。彼らにとって、休日というものがいかに大切であるのかという事から来るものかもしれません。

生きる為に仕事をする。日本人は仕事に生き甲斐を求めます。ここのところが根本的に違います。すると、休日に対する考え方も違ってきます。

もう30年近く前ですが、ある日本の会社がドイツに会社を設立し、現地で求人をしました。給料は、ちょっと良い方だったそうで、たくさんの人達が集まったものの、週に1回か、1か月に1回かちょっと忘れましたが、少し残業をしてもらわなければならないという話をしたところ、全員が帰ってしまったらしい。これは、当事者から聞いた話です。この時、あるドイツの会社を訪れていたのですが、定時ちかくになりますと、みんな帰る準備をしていて、定時には完全に誰も居なくなった。

日本ではこういう事はありません。もちろん、欧米人全員がそうでは無いのでしょうが、言いたい事は仕事に対する考え方が違う。それで休みに対する考え方も違ってくる。だから、休みの過ごし方も違う。

こういう事が、キャビンヨットの使い方に表れているのではないか? 日本人にキャビンが不要という事ではもちろんありませんが、欧米人のような別荘的使い方は不要ではないかという事です。

つまり、キャビンはあっても良い、あった方が良い、でも、別荘的には使わないから、そこまでは不要ではないか、それより、日本人はどこにでも生き甲斐を求める。意義を求めたがる人種なのではないか?それなら、ヨットなのだから、セーリングに求めましょうという理屈です。

そういう意味で、キャビンヨットは不要なのではないか?
別荘的に使わない限り、キャビンヨットは不要です。寝泊りして過ごすからこそキャビンヨットが活きてくるのではないか?何日も泊まるという事が無いのなら、不要な設備も多い。

基本的にキャビンがあって、それほどでかい必要も無く、トイレがあって、ポータブルのコンロがあって、水さえでればほとんどは賄える。

それより、セーリングに目覚めた方が、意義を感じれるのではないか?セーリングと言っても、スピードに限らず、その妙を感じるところに日本人のフィット感を見出せるのではないか?

それをクルージングに置き換えても良いと思います。でも、別荘は無い。という事で、ヨットはセーリング性能かクルージング性能を見た方が良いのではないでしょうか?

キャビンの広さにあこがれるよりも、何でもついている設備にあこがれるよりも、セーリングしてどうなのか、クルージングしてどうなのか、そういう目で見た方が良いのではないでしょうか?

キャビンヨット不要とは極端な言い方ですが、もちろん、キャビンもほしい。でも、それより、目をセーリングに向けて、日常をいかに楽しむかを考えた方が良いのではないかと思います。

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