第九十三話 自由人

仕事を引退して、自由を手に入れる? 何もしなくて良いですよ。何をしても良いですよ。自由にしてください。 こう言われちゃうと、ちょっと困っちゃいます。何時に起きようと、何時に寝ようと、二日酔いになろうと、自由です。でも、困ってしまう。だから、趣味でも持とうとなります。

でも、その趣味にしても、自由にどうぞという事ですから、困っちゃいます。自由になると困ってしまう。人間はある程度の拘束がある事で、自由を満喫できるのかもしれません。それで、どうしようも無くなる方もおられ、仕事を始める方も少なくない。趣味にしても、ただ自由では何だか物足りなくなってしまう。

そこで、自分で自分にある程度の拘束をかける。例えば、毎週ヨットに乗ると決めるとか?それでも不十分で、どうやって乗るか?ただのんびりでは物足りなくなります。そこで、セーリングに目標を決める。それは自由自在のセーリングを目指す。

目標はただの方向性、別にどうしても達成しなければならないものでも無い。ただ、その方向性を持って、セーリングを堪能しようという話です。目標を持つと、それはある種の拘束になります。でも、自分で自分に課したもの、他人に押し付けられたものとは違います。コンパスで360度どの方向でも良いですよとなって、それなら、北に向かいますてなもんです。

目標を絞ると、嬉しい時もあれば辛い時もありますが、その両方を受け取る事になります。でも、何もしない自由の中に居ても同じ事、否、むしろ嬉しい時がある分ましです。それに、面白さを感じたら、辛さが辛さでは無くなる事もあります。ですから、面白さを感じる事をするのが良いと思います。楽しさだけでは不十分なんだろうと思います。それに北に向かったが、どうも西の方が面白そうだとなったら、自由ですから、いつでも方向転換です。

ですから、テーマはセーリングをして、いろいろ試行錯誤しながら、自由自在セーリングを手に入れる事。いつか自由自在にでは無く、去年より、今年は自由自在度が上がる。先月より今月。
自由人は、自由に自分で決める。何にも拘束されずに、自分で自分を拘束する。自分でコンパスを見てる。

もうひとつの自由人は、自由に考える。柔軟に考える。社会の常識には捉われずに自由に考える。本当はこの方が難しい。他人が、自分の頭の中を拘束する事はできませんが、気が付かない間に、従う事になります。そこで、せっかく自由になったのだから、頭の中も自由にしたい。だから、面白いと感じる事をするに限ります。楽しいだけでは無く、面白いです。

セーリングに面白さを感じたら、セーリングで自由自在を目指す。クルージングの旅に面白さを感じたら、時間はたっぷりですから、あっちこっちに出かける。面白さには、楽しいも、エキサイティングも、辛いも、あらゆる感情を含み、それでももっと味わいたいと思う気持ちかと思います。
時化にあって、もう二度と乗るものか、と思っても、ちょっと時間が経つと、また乗りたくなる。

自由に発想して、自由に目標を決めて、自由に乗り、自由を味わいながら、臨機応変さを発揮しながら、自分に課した拘束も意識しながら、何を感じている、何を考えているかも意識しながら、その時にできる事をしながら、味わいながら、面白さを感じながら、自由自在を目指す。最後は全てを受けいれる。ここだけは自由にはなりません。だからこそ、そこまでは自由で居たい。最後と言っても、その瞬間瞬間の事です。

自由な発想は、例えば、100マイルという距離を見て、近いと感じるか、遠いと感じるかは、どちらも正しく無いと知る事かもしれません。100マイルは100マイルには違いない。近いとみても、遠いとみても、そこに拘束されてしまう。そこから自由になれば、1日で行くか、2日かけるか、もっとかけるか、という航程を考えるだけでいい、自由に。

そんな自由人になれたら良いなと思います。

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