第七十話 楽しさ、面白さ 

レジャーの大様はテレビです。寝っころがって、野球やサッカーを見れるし、ドラマを見て泣いたり、笑ったり、怒ったりもできる。やめたければいつでもスイッチオフで切れます。でも、それはバーチャルな世界。それでは実感が足りないので、どこかに出かけます。

レージャー施設へ行って楽しかった。温泉に行って楽しかった。食事にでかけて楽しかった。ドライブに行って、ヨットに乗って楽しかった。所詮、この程度です。それゃあ、普段の生活が大変ですから,息抜きは誰にでも必要です。でも、息抜きですから、それ自体はたいした事は無い。

大抵は、誰かのお膳立てにのっかって、サービスを受けます。でも、ちょっとした事で、レストランのウィトレスの態度ひとつで、気分が壊れたりもします。

生きていくのは大変なので、その息抜きで楽しさを求めます。その楽しさはあくまで息抜きでありますね。たいした事は無い。温泉に行って楽しかった。でも、たいした事は無い。それが、全国の温泉を巡ろうと思うと、それは楽しさからはずれていく。もはや息抜きではありません。

面白さは違います。息抜きではありません。生きていく中にあります。だから、仕事にも面白さを見出す事がありますし、家族の面倒を見るのは大変なんですが、面白さを見出す事もある。
楽しさとは基本的に次元が異なる。だから、ヨットを楽しくやるか、面白くやるかは違う乗り方になると思います。

楽しさはだいたい受け身です。誰かがお膳立てをして、そのお膳立てに乗る事です。だからちょっとした事で気分は害される事もあります。面白さは、集中、工夫、試行錯誤、いろんな生きていくのと同じものが要求されます。何かがあって当然と思っています。

ヨットを楽しくやるのに何も問題はありません。それはそれで良い。でも、もっと何かを求めるなら、面白さを得るしかないと思います。楽しさにしても、そこに工夫したり、集中力が出てきたり、何やかんやといろいろやりますと、楽しさの次元は破れ、面白さに変わっていく。それと同時に、トラブル、難しさ等に出遭う事もあります。そんなこんなを乗り越えて、面白さに出会う。

いつもの場所にクルージングに出かけ、たまたま帰りに時化られたら、誰もが集中し、いろんな事をします。帰ってきたら、あ〜楽しかったでは無く、面白かったになるでしょう。辛かったかもしれません。敢えて、時化に出る必要は無いが、面白さとは、楽しい辛いも含めて全部を味わう事かもしれません。辛いは難しいという事もありますね。

その為には、集中力、工夫、試行錯誤、そういう前提があります。便利な世の中、肉体的には楽であっても、これらはいつでも、その気になれば発揮できる。だから、たまには、クルージングにも、セーリングにも、そういう時を持つのは悪く無い。楽しさとは違う次元の面白さを味わえる。

風は常に変化をしますから、どこまで調整するか? まず、的確な観察をするには集中力が要求されます。集中すれば、いろんな事が解り、いろんな事を感じる。それで、リーチを開いたり、閉じたり、角度を変えたり、それで何がどう変わるかを感じたりします。それで、これゃあ、もっと勉強しないととか、こんな時はどうすれば、とかそういう疑問が湧いてきたり。

それで、勉強して知識が増えていきます。でも、実践では、まだまだ机上のようにはいきません。
だれもが、ヨットというと、ある一定のイメージを持ちます。でも、現実は、そのイメージに留まらず、常に変化していきます。その変化に、いかに対応していくか? それが面白さではないでしょうか?
すると、いつか、息を飲むようなセーリングに出遭える。たとえそうで無くても、意図したセーリングができるようになる。それが面白さ。

楽しさは楽しさで良い。息抜きです。面白さはまた別なところにある。楽しいヨット、面白いヨット、どっちが良いんでしょう?そういう事を意識するというのはどうでしょうか?

便利になった世の中、肉体的には楽に、大きなヨットを動かす事ができます。息抜きなら、ちょっとした変化で楽しさが壊れる事もあります。風が変化して、無くなったり、強すぎたり。でも、面白さを前提に置くなら、変化して当たり前、その変化にいかに対応しようかと考える。変化は必ずあります。その変化は気分を害したりする事もあれば、面白さになったりもします。それは、こちら次第ではないでしょうか?

ハードは揃った。後は、いかにソフトを創るか?
ソフト次第で、面白くも、つまらなくも、楽しくもなるのではないでしょうか?本気でやるなら、面白さを得る。面白さを得たいなら本気でやるしかない。本気と言っても、ちょっと集中力を上げたりするだけです。簡単です。意識が違うだけではないでしょうか? 同じ環境でセーリングしていても、違うのではないかと思います。

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