第五話 快適症候群

前話の話を書いていましたら、ちょっと気づいた事があります。それは、このタイトルにある、快適症候群です。我々は常に、何か楽しい事は無いか、面白い事はないかと探しています。仮に、そこまで行かないにしても、寒いと思えば、暖を取るし、暑ければエアコンのスイッチを入れる。当然な事です。これによって、我々は随分快適な暮らしができるようになりました。

それらが当たり前の世界で、今時エアコンが無いような車は無いと思いますが、もしあったら、これはもう耐えられません。この間まで、エアコンがある車の方が少なかったのに。いまは、あるのが普通です。これが当たり前になりますと、もっと何か快適な事は無いか? そして、一般的な暮らしにさほど不満が無くなると、今度は楽しい事、面白い事はないかと探します。

この事は、科学の進化を促しますし、悪い事では無い。しかし、よくよく考えてみますと、この快適症候群が、好きな事をしたい、面白い事をしたい、楽しい事をしたいというのは当然の事として、我々の中に定着しています。もちろん、これも悪い事では無いと思います。

しかし、これが度を過ぎると、何かが変になるのではないか?度を過ぎたものは、極端ですが、例えば麻薬です。麻薬をほしがるのは度を過ぎている。もちろん、そこまでは行きませんが、何か楽しい事なら、問題は無いと思ってしまいます。しかし、程度の差はあれ、同じなのかもしれません。

麻薬が切れると禁断症状があらわれます。それで、楽しさが無くなると、退屈という禁断症状が出ます。ですから、また探します。そんな事の繰り返しを、延々とやってきたような気がします。という事は、今後も、同じ事が続くという事でしょうね。

そこで思いました。人類は快適症候群にかかっている。それなしでは生きられない。楽しさや面白さを探しては見つけ、また探す。きりが無い。ヨットにエアコンを積んで、快適キャビンライフ。でも、これで満足する事はありません。エアコン積んでも良いんですが、その快適キャビンライフは一時的なもの。また、何かを探し始める事は明らかです。留まる事を知りません。留まるなんてできないでしょう。だから、これはこれで良いとして、でも、どこかに違う何かを持った方が良いのではないか?

それがピュアセーリングです。ピュアクルージングでも良いんです。エアコン積もうが、何しようが、それはそれ。でも、別にもしセーリングするならセーリング、クルージングするならクルージングの、そのものを味わうという事かなと思います。

そのものを味わうというのはどういう事? GPSを設置します。計器も設置します。ドジャーだって、ビミニトップだって設置します。天候だって、いろいろ変わります。条件を揃えるなんて事はなかなか出来るものでは無い。だから、いろいろ考えて、最適の状態は造るものの、そのあとは受身になって、味わう事に徹するのが良いのかな?

快走を目指して、知識を得て、腕を磨く。そういう事はしても、その瞬間を味わう時は、何も求めないという事になるのかな? そうしますと、今日は、仮に快走では無かったとしても、それはそれなりの味わいがあると考えられるかもしれません。すると、快走以外にも、なかなか良い味わいというものが見つけられるかもしれません。もし、そうなら、いつでも、それなりの味わいを持って、ヨットライフを過ごす事ができるのかもしれません。

セーリングやクルージングにおける快適症候群をぶち破る事ができるかもしれません。最大の努力はします。しかし、何も求めない。ですから、微風でも何も文句は無い。快走は快走の面白さを味わい、微風は微風のセーリングを味わう。どっちが上でも、下でも無い。セーリングには違いない。そう思えるようになれるか?もし、そうなれたら、ヨットの全体を味わえる? かもしれません。

便利艤装をつけても構わない。速いヨットを手に入れても構わない。しかし、いざ乗る時は、ピュアセーリングを味わう事にする。その瞬間瞬間の味わいをそのまま味わうようにする。それが出来たら、どんなに楽だろうか?おっと、本当は、これが最も楽になれる方法かもしれませんね?
でも、これは楽症候群ではありません。気もちは楽ですが、病気じゃ無い。何故なら、その楽を求めて得たわけでは無く、結果もたらされたものだから。そこに執着しているわけではありませんから。

今日の一曲。 チェットベイカー Time After Time トッランペッターであり、シンガーでもあります。
このビデオではフリューゲルホーンを吹いてます。

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