第四十二話 ヨット学

日本人のヨット遊びは、欧米人とはちょっと違います。ヨットは遊びですが、快楽だけを得たいという事では無く、頑張って、深い味わいを得たい。今更、日本人の遊び感を変える事はそう簡単な事ではありません。では、日本人に合うように考え方を変えれば良いと思います。それが日本人としての遊びであり、それが面白いのですから。

それで、前話で、ヨット学 という言葉を使いました。ヨット遊びを学びに変えてしまいましょうという事です。年取って、引退して、再び、大学に行って勉強する方がおられるそうです。 年取って解る事は、もっと勉強しておけば良かったな〜と思う事です。

その学びの精神を発揮して、ヨット学を学んでみてはいかがでしょうか? そういう考え方に変えてみてはどうでしょうか?もはや遊びではありません。学びなんですから、これは崇高な行為であります。快楽だけが目的ではありません。いつかおねえちゃん乗せてデートセーリングしたいとか、それも可能かもしれませんが、それが目的ではありません?それもたまには良いですけど。

大学に行って勉強するような、そんなセーリング学をマスターして、より知って、より上手くなって、その世界を味わいたいという学びの世界です。他の学問とちっとも変わりません。歴史や経済、政治、文学、科学、物理、等々いろいろありますが、それらも知って、解釈して、その世界を味わう事になります。それが将来役に立つかどうかという事もありますが、こちとら年とってますから、将来に役立つかどうかなんてどうでも良いのです。その世界を味わうという事に重点を置いてます。

ヨット学ですから、理論を学ぶ事も重要になります。適当にセーリングして、適当に遊んでくるという事ではヨット学にはならないので、理論もちゃんと学びます。そして、当然ながら、その理論を実践で試しながら、その理論が正しいのか? と体感を通して学びます。そういう体系的な学びを続けますと、セーリングの深い処に達する事ができるのではなかろうか? これは本人にしか解らないかもしれません。十分味わって、納得して、そしていつかは卒業する事になります。ひょっとしたら、日本人だったら、そのセーリングにさえ、侘び寂とか見出すかもしれませんね。

ヨットは遊び、たかが遊びなんですが、それはたまたま遊びだと考えたから遊びなんであって、学びと考えたら、学びなんですね。日本人にはヨット遊びというより、ヨット学と言った方が合うのではなかろうか?学であるからには、学ばなければなりません。年を取りますと、学ぶという事が案外面白いものだと感じるようになるのではなかろうか? 学生の時に気がつけば良かったのですが。

そこで、そのヨット学のテーマとして、最適なのが、デイセーリングなのであります。他にも、レース学、クルージング学とできますが、全ての基本はデイセーリングにあります。デイセーリングで基本を学び、そこから、さらに深いセーリング学科に進んでも良いし、レース学科に進んでも良いし、クルージング学科でも良い。或は、デイセーリング学を学んだ後なら、一旦、卒業して、ピクニックや泊まりやそういう遊びを楽しんでも良いかと思います。既に、学んでいますから、ピクニックでも一味も二味も違う感じを得られるのではないでしょうか?もちろん、並行していくんですが。

ヨット学とか言いますと、ちょっと固いイメージになるかもしれませんが、やる事は同じで、ただ、ある時期、ちゃんと気を入れて学ぶ事があった方が、先々の世界は違っていくのではないかと思う次第です。

という事で、まずは、自分のヨットを隅々まで知る事。そして、セーリングでは、意図を明確にして、上りとか、フリーとか、風向とか風速とかを意識して、明確な意図の元に走る事ではないかと思います。それを続けていきますと、必ず、疑問がどんどん出てきて、テーマは自然発生的に表れていくのではないでしょうか?疑問が出てくる事こそ学びなんだろうと思います。それが面白さでもあると思います。

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