第七十話 超合理的

久しぶりに回転寿司屋に行きまして、驚いた。客が多く、待たされている間に、壁に貼られた一枚の紙。この店は時間管理の特許取得とある。何の事だろうか?

少し待った後、席に案内されて、それに気がつきます。回転してくる寿司の他、モニター画面にメニューがあって、それはタッチパネル式。その画面にタッチして好きな物を注文、そこには何分で来るかと時間表示もある。もちろん、そんなに待たされずに、注文が飛んでくる。回転する段が二段になっていて、上の段は注文用で、席の前でピタリと止まる。

食べた後の皿は回収口があって、そこに放り込めば、今何枚食べたかがモニターに表示される。確かに時間がかからない。合理的である。しかし、どうも、機械とコンピューターに操られた動物のような気分になる。寿司が餌に思えてくる。隣に居た息子は考えすぎだと言ったが、考えたわけじゃない、そう感じたのであります。

これ、寿司職人が握っていないんじゃないか? シャリの部分を見たら、全部同じ形をしていた。やっぱり、壁の向こうには、機械とコンピューターしか居ないに違いない。流石に受付は若い女の子でしたが、まあ、バイトでしょう。

うまくは無かったが、まずいという程でも無かった。例え、うまかったとしても、二度と来る事は無い。どうも超合理的で、時間管理特許を取っただけの事はあるのかもしれないが、どうも、肌に合わない。そう、理屈じゃ無くて、肌に合わない。

面白いとか言うのは、感情の部分で、いくらコンピューターが理論的な合理性を生み出しても、やはり、そこに面白さは無い。ちょっとしたニュアンスの違いなのかもしれないが、そのちょっとした違いを大きく感じてしまう。

ヨットにもコンピューターがどんどん利用されてきています。それはそれで結構なのですが、あくまで人間が利用するだけであって、行動するのは人であります。だから、発達するのは結構だけれど、レースだって、コンピューター同士の競争になったんでは、面白くもなんともない。それじゃあ、コンピュータの中のバーチャルと変わらない。

どんなにコンピューターを活用しようとも、人間が判断し、行動するから、そこが面白さであって、失敗したり成功したりするから面白いんであって、この寿司屋は理論的には正しいのかもしれないが、いい加減にしろと言いたくなる。これじゃ自動販売機と同じだ。しかし、客は多かった。そういう時代なのだろうか?

ヨットを艤装する。電動何やらも使う。コンピューターも使う。使っている間は良いけれど、使われるようになったら御終いだな〜。我々は合理性を求め、理論を構築します。しかし、本当に求めるは、合理性では無い。最後には、アナログ的と言うか、感覚的と言うか、そういう部分も残っていないと、面白くは無い。生きている感じがしない。

考えてみれば、世の中も同じで、どこどこ大学の専門家や、評論家等々が、理論を述べるが、どこかに落とし穴があるのではなかろうか?政治評論家、経済評論家、その他、何とか評論家等たくさん居るが、そこには、心理学や民俗学、宗教学等が必ず必要なのではなかろうか?もしろん、学問だけでは不十分でしょうが。

物で遊びはするが、物を遊ぶわけでは無い。ヨットがアナログ的で良かった。まだ人間の裁量が生きている。合理的は良いが、超合理的は要らない。うまく行ったり、ミスしたり、最後の最後は、そんな人間的な部分が救いになるような。だから、美しく、シンプルなヨットが大好きなのであります。
だから、スポーツなんか、みんな大好きなのでありますね。

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