第53話 完璧である事

世の中に完璧は無いとされます。我々は毎瞬、毎瞬,何らかの選択を強いられています。朝何
時に起きて、何をするか、しないか、いつも選択の連続です。日常の生活において、選択して
いるという意識はありませんが、実は選択している。そして、大事な何かを選択する時、初めて
意識して、選択をします。失敗しないように、どれが最良の選択であるかを考えます。でも、もの
は考え様です。全ての選択が完璧だとしたらどうでしょうか。そうは考えられないでしょうか。

AとBの選択がある。どちらの方がより良い選択であるかを考えます。過去の経験の積み重ね、
いろいろな情報、頭脳を駆使して、あらゆる可能性を考えて選択します。仮にAを選んだとします。
でも、明確な理由が無い限り、これで本当に良いのかと思いながら、選択をします。でも、どちらを
選んだとしても、その時点では完璧な選択ではないでしょうか。選択したのは自分である事。そし
て、その時の自分自身に相応しいレベルで選んだ事、それが完璧であるという理由です。後で
失敗したと思うかもしれません。でも、その失敗したという経験が必要だった。それが自分に相応
しいレベルであったという事が解る。ここで解る事が次のステップを生み出す。もし、Bを選んでいた
らうまくいったかどうかは解りません。Aにしろ、Bにしろ、自分が選んだという事が自分に相応しい
完璧を生み出したと言えます。全ての選択は自分を知る機会だとも言えます。そういう意味で完璧
であると言えるのではないでしょうか。

こう考えますと、全ては完璧ですから、充分検討した結果選んだ結果は完璧です。完璧と知れば、
動揺は無い事になります。そのまま受け入れる事ができます。これができれば楽しむ事ができる。
今、動かないヨットが多いのは完璧です。これが必要だからです。この経験が、やがては次のステッ
プを生み出し、ここから学べば、次にどういう選択をすれば良いかが解ります。これで良い。仮に、
最初から、俗に言う最良の結果を選択できたとしても、それが最良だとはわからないかもしれません。
その前のステップで失敗した経験を持つが為に、最良が最良としてわかるとも言えないでしょうか。
そう考えれば、気楽です。失敗は本当はありえないからです。

さあ、自分の思ったとおりの選択をしましょう。私がここで提案してきた事も選択のひとつです。これを
受け入れるかどうかはみなさん次第。いずれの選択も、自分がその気になった選択が、その時点での
完璧ですから、心配することはありません。その都度の選択を、そのまま完全に受け入れていけば、
やがては最良に達するのです。これを受け入れないで、文句ばかり並べると、拒否すると、いつまで
たっても最良の選択には行きつかないのではないでしょうか。そして、できれば、自分で選ぶという事
です。他人と同じだから無難と思う選択も選択であるには違いないのですが、一歩進んで、自分で考え
られるあらゆる要素から、最後は自分で選ぶという事が大切なのではないでしょうか。知らない事は
たくさん聞いて、でもやはり最後は自分の責任で自分で選ぶ。レベルの高い完璧さがここにある。

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